多摩川通信

昭和・平成の思い出など

打ち続けること

 

10年ほど前だろうか、テレビの囲碁対局であまりに早く大勢が決まってしまったことがあった。往年の名棋士である解説者によると、もはやどうにも挽回のしようがない状況らしい。放送時間に満たずに投了した場合、盤上で石を並べながらあれこれ検討を行って時間を延ばすのだが、その手ではとうてい足りそうになかった。すでに投了不可避となった若手棋士は強張った表情でなおも対局を続けた。そのとき解説者が口にした「打ち続けることは大事なことです」という言葉が何かとても意味深いものに思えて印象に残った。

 

「人生はそれでも続く」(読売新聞社会部「あれから」取材班/新潮新書)を読んだとき、ふとその言葉を思い出した。本書はかつて世の中の注目を集めた人々の「その後」を取材した読売新聞の連載企画「あれから」の記事を収めたものである。中でも人生の蹉跌を味わった人たちの「その後」には考えさせられるものがあった。一見、それぞれの個人的エピソードのように見えるが、実はその背景にあるのは深刻な社会的事情であり、単なる個人的問題ではない。以下にそのいくつかを挙げてみる。

 

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1998年1月、千葉大学は全国で初めて「飛び入学」を導入した。この制度で17歳で入学した最初の3人のひとりだったSさんは、物理学を専攻して、大学院で修士号を取得した。卒業後、民間研究機関を経て大学の非常勤講師をしながら博士号取得と研究職を目指したが、30歳を過ぎて非常勤講師の契約更新が切れた。Sさんの研究対象が短期的な成果が出にくい分野だったことも影響した。2013年、Sさんは家族を養うため運送会社に就職してトレーラーの運転手になった。

博士号を取得しても研究職に就けない者の窮状が問題になって久しい。背景として、長きにわたる経済停滞がもたらした研究資金の減少や、大学等における研究者の新陳代謝の停滞が指摘されている。Sさんの例から浮かび上がるのは日本が余裕を失ってしまった現状であり、それは国力の衰退そのものである。

 

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2000年11月、佐賀市農協背任事件で組合長らが佐賀地検の独自捜査で逮捕された。主任検事に指名されたIさんは、捜査内容について知らされないまま、県外で研修を受けているときに逮捕を知った。研修から戻ると次席検事から「とにかく自白させろ」と命じられた。勾留期限が迫る中、焦ったIさんは組合長に罵声を浴びせ暴言を吐いた。供述調書への署名を得たが、公判で弁護側は自白の強要があったと主張した。証人として出廷したIさんは、暴言を吐いたことを率直に認めた。地裁は自白の任意性に疑いがあるとして無罪判決を下し、控訴審で無罪が確定した後、Iさんは検事を辞職した。

Iさんの手記によると捜査・逮捕・起訴を主導したのは次席検事で、その捜査内容はずさん極まりないものだったという。検察の独自捜査による冤罪事件はその後も相次いだ。2010年9月の障害者郵便制度悪用事件では厚労省局長を逮捕・起訴したが、大阪地検特捜部の部長・副部長・主任検事が証拠の改竄を行っていたことが判明し、逆に逮捕されるという前代未聞の展開となった。さらに、2019年12月、大阪地検特捜部は業務上横領事件で不動産会社社長を逮捕・起訴したが2021年に無罪が確定し、逆に証人威迫罪で担当検事たちが刑事告発された。地道な捜査に対応できる人員体制を欠いたまま強行される検察捜査に問題があることは明らかだ。制度の真摯な見直しが必要だろう。

 

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2018年2月、Hさんは7度目の万引きで逮捕された。スーパーでキャンディーとクッキー総額382円を万引きしたのである。前年秋、Hさんは病院で摂食障害及びクレプトマニア(衝動的に窃盗を繰り返す精神疾患)と診断されていた。刑事裁判では保護観察付きの執行猶予となった。

Hさんにはかつて実業団のマラソンランナーとして華々しい成績を挙げた過去があった。2005年3月、マラソン初挑戦だった名古屋国際女子マラソンでいきなり優勝し、同年8月の世界選手権ヘルシンキ大会では日本人最高の6位入賞をはたした。2007年の大阪国際女子マラソンでも優勝した。さらなる飛躍を目指した頃から減量に苦しみ、食べては吐くことを繰り返した。2008年北京オリンピックの日本代表の座をつかみかけた頃、些細なことがきっかけで不調に陥った。それを境にして競技人生が暗転した。そこへ私生活の不運が追い打ちをかけ、精神の均衡が崩れた。

上記判決の後、市民マラソンのゲストに招かれたHさんは自らの事件と病気について率直に語り、再出発を誓った。今は、地道に働きながら立ち直りを図っている。

 

私にはこれがHさんの個人的問題だとは思えない。長距離走には人間の限界に挑むスポーツという面があるが、選手にもコーチや監督にも、競技会主催者やスポンサー、さらに言えば視聴者にも、合理的なコントロールを尊重する視点が必要だ。

例えば箱根駅伝の場合、中継所にフラフラになって姿を現わし、繰り上げスタートの秒読みの中、襷をつなぐために2度3度と転がりながら近づいてくる走者の姿は涙なしには見られないが、実はテレビの前で一番期待しているシーンはそれだ。しかし、それを良しとするようなあり方はそろそろ見直すべきだろう。行き過ぎた減量やレースが若者たちの健康や精神を蝕むようでは本末顛倒だ。令和の時代にふさわしい新しいスポーツのあり方が模索されるべきだ。 

 

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就職氷河期の真っ只中だった1999年、Kさんは就職が決まらないまま大学を卒業した。以後20年間、非正規雇用の職場を渡り歩いた。先の見えない生活に自信が持てなかったから結婚に踏み切ることもできなかった。そんなKさんに思いがけず光明が差したのは2019年のことだった。兵庫県宝塚市氷河期世代を対象とする正規職員の採用試験を実施するというのである。当時の中川智子市長の発案だった。

採用枠3人に対して全国から1816人の応募が殺到した。Kさんは合格者4名のひとりとなり、市役所職員として生活困窮者に対する支援を担当する部署に配属された。20年にわたる非正規雇用の経験は無駄ではなかった。相談者の訴えをしっかり受け止めることができる「聞く力」が、今、市役所の仕事に活かされている。宝塚市から始まった氷河期採用の試みは、その後全国184の自治体と国家公務員に広がっているという。

新卒採用方式がガチガチの岩盤になっている日本の雇用制度にはいい面もあったが今や欠点も深刻だ。特に雇用の流動性がない点は最大の欠点だろう。会社や社会に息苦しさをもたらしているだけでなく、日本経済の活性化を阻んでいる面さえある。会社の枠から一歩外れただけで家族を養っていくのが難しくなるような社会でイノベーションなど生まれるはずがない。今の日本の閉塞状況は会社の雇用制度に根ざしている面も大きい。全てが一気に変わることを期待するのは現実的でないとしても、雇用や転職の活性化につながる小さな試みが新しい発想で現れないものかと期待せずにいられない。

 

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バブルの時代を知らない若い世代には申し訳ないが、あの頃の高揚感は凄まじいものがあった。同時に、いつまでもこのまま続く訳がないという迫りくる転換点への恐れもあった。何がきっかけになるかは、そうなるまで分からないし、いつ転換が始まるかも分からない。だが、世界中がつながっている今、いつか必ず、どこかで生じた何かがきっかけになって状況は大きく変わる。今はその時のために、変化に乗れる準備を続けていくべきときだ。