多摩川通信

昭和・平成の思い出など

「ソ連」という信仰

 

ロシアのウクライナ侵攻後、同国の独立系調査機関レバダ・センターが3月に行った世論調査で、軍事作戦を支持するという回答が81%にものぼったというニュースはあまりにも意外だった。

プーチンの個人的な妄想から始まったことなのだから、ロシア国民の圧力でプーチンはじきに地位を追われ、間もなく紛争は終わるだろうと思っていたのだが、事態の深刻化と長期化が避けられないことを示す冷酷な事実は衝撃的だった。

6月下旬の調査でも75%という高い水準にとどまっていて、高齢者ほど高い支持率を示しているが若年層の支持も決して低くない。調査はロシア国内の1600人に対し対面形式で行われたという。

 

当初はプロパガンダに影響されているという見方が多かったが、どうもそれだけではないようだ。自由と民主主義を所与の前提とする立場からは見えないものをロシア国民は見ている可能性がある。

そんな思いから、「セカンドハンドの時代 「赤い国」を生きた人びと」(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ/岩波書店)を読み返してみた。著者は、本書(2013年、ロシアを含む欧州各国で出版)を含む一連のルポルタージュによって、2015年のノーベル文学賞を受賞した。本書は1991年のソ連崩壊後を生きた人々の生の声を拾い集めたものである。

その中に、現在、プーチンを支持している人々のものの見方や心情につながるのではと思われる言葉がいくつかあった。

 

87歳男性/ソ連建国時からの共産党員だったが、密告によって夫婦で刑務所に入れられ拷問を受けた>

「我々には偉大な計画があった。世界革命を夢みていた。我々が思い描いていたのは、貧乏人も金持ちもいない公平な世の中なのです。我々の時代は偉大な時代だったのです。自分のために生きている者などいなかった。

拷問で傷を負って家に戻ったとき、党の地区委員会に呼び出された。『残念ですが、奥さんを返してあげることができない。亡くなられました。しかし、おふたりに名誉をお返しします』と私の党員証を返してくれた。で、私は幸福だったのです。私は幸福だった。

論理の法則で我々を評価してはならないのです。我々を評価できるのは宗教の法則だけです。信念ですよ。ヒトラーにだって我々は勝った。

今度は我々に判決が下された。あなたがたが信じていたのはユートピアだったのだと。信じていましたとも!」

 

49歳女性/党地区委員会第三書記>

「皆が薄っぺらな人間になってブルジョア化してしまった。皆がいい暮らしをしたがり、楽に生きたがっている。一体どんな信念を持ってるの? そう尋ねると『ソ連のおとぎ話をしないでください。ごめんこうむります』と。

私はソ連時代を誇らしく思っています。贅沢な生活ではなかったけれど、普通の生活があった。愛と友情があった。私たちソ連の生活、あれは、別のタイプの文明をつくる試みでした」

 

63歳女性/年金生活者>

「あたしらはシベリア行きに応募した。共産主義の建設に! ・・・すべてがむだだった」

 

<若い男性>

「ぼくは思想をもっていた人たちがうらやましい。偉大なロシアが欲しい。ぼくは覚えていないが、それがあったってことは知っている」

 

これらの言葉には、共産主義の実現を信じて生きた人々の歴史上稀有な人生が凝縮されている。単なる強制や統制によるものではなく、人類史への挑戦とも言うべき全く新しい社会の建設に向けて自ら真摯に立ち向かった人々の声である。

 

 

これに対し、当時、為政者の側はどのような考えを持っていたのだろうか。ソ連の統治は人権を軽んじた強権的なもので、権力者が恣意的な統治を行ったならず者国家というイメージを持っていたのだが、「ソ連という実験 国家が管理する民主主義は可能か」(松戸清裕/筑摩選書)を読んで、そんなに単純なものではなかったようだと考えさせられた。同書では上記のようなイメージにはそぐわない多くの事実が示されている。

 

フルシチョフとブレジネフの補佐官を勤めた人物は、「2人にとって特徴的だったのは、確固たる平和を国に保障し、人民の生活条件を改善するという心からの、見せかけではない志向だった」と回想している。

そのような為政者の志向の現れとして、本書は「面会制度」を取り上げている。それは市民の苦情や要望を汲みとるため、行政区画の各段階に広く設けられた制度だったという。

ロシア共和国最高会議幹部会の面会室では市民との面会が毎日行われていて、1964年には平均して1日約210人、年間約65千人との面会が行われた記録があるという。

 

なんと、あの悪名高きKGBにも面会室があって大勢の人々が訪れたのだそうだ。真実を求め、恣意や無情からの保護を求める人々が詰めかけた。

アンドロポフ(1967年~1982KGB議長、1982共産党書記長)のKGB時代の下僚は、アンドロポフは1つの質問も1つの願いや訴えも、返事をしないままにはしないという厳格な原則を持っており、「仕事上の失敗では殴りつけられずに済むかもしれないが、訴えでは・・・」と当時の緊迫した業務のあり様を振り返っている。

さすがはKGBである。トップが部下を殴りつけていたというのは真実味がある。KGBが単なる締め付け機関ではなく、国民にしっかり向き合おうという志向を持っていたことは興味深い事実だ。

 

また、ソ連では意外なことに選挙が重視されていたという。1党制で、定数1の選挙区に1人の候補者しか登録されず、競争選挙ではなかったが、候補者選出の段階では選挙人の意向が反映される機会もあったらしい。ソ連全土において膨大な手間をかけて律儀に選挙が実施されていたのである。

 

ゴルバチョフは、1985年、書記長に選出されたとき、「内政の根本的な課題のひとつとして党は民主主義の一層の改善と発展を検討している。社会主義的民主主義の深化は社会意識の向上と不可分に結びついている」と演説した。

本書の著者は、「ソヴェト政権と共産党は自己認識としては民主主義を実現しようとしていたのであり、現状では民主主義はなお不十分であり、改善が必要であることも常に意識していた」と述べ、「『善き意図』に基づく様々な政策が『善き結果』につながらなかったと言うべきである」という見方を示している。

 

この点はプーチンの発言においても垣間見ることができる。プーチンは徴集兵をウクライナでの戦闘に参加させることはないと繰り返し公言したが、その足元でロシア国防省は徴集兵がすでにウクライナで戦っていると公表した。

なぜこんな見え透いた嘘をついたかといえば、プーチンは国民のために良かれと思うことを意図しながら、それが果たせず結果的に嘘になってしまったということなのだろう。初めから嘘をつこうとしていたのなら、バレないようについたはずだ。

 

困難な理想を実現しようとしてもがき、何とかしようとして強権発動に走る為政者に、志を同じくするソ連人民は同じ方向を向いて寄り添ってきた、というような見方はナイーブに過ぎるだろうか。

冒頭に示した老党員の「論理の法則で我々を評価してはならないのです。我々を評価できるのは宗教の法則だけです。信念ですよ」という言葉は、プーチンウクライナ侵攻を支持し続けるロシア国民の実情を理解する上で指針となるものかもしれない。