多摩川通信

昭和・平成の思い出など

限界集落は招くよ

限界ニュータウン

限界ニュータウン

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数年前、東京で高校時代の友人と歓談したときのこと。帰省した折にわざわざ私の実家がある集落を車で通り抜けてみたらしい。「いいところだね」と言う。お世辞を言い合う間柄ではないから本当にそう思ったのかもしれない。

18歳で上京して以来、故郷の佇まいの変化に大して気をとめることもなかったのだが、近年、新しく建て替わる家々が目につくようになった。年老いた両親のために車を運転すべく実家に居を移して3年が過ぎ、あらためて集落を見渡してみると、どこの家でも年寄りたちが庭木や花の手入れを欠かしていないことが四季折々の彩りを通して窺われる。人に褒められると故郷も俄かに良く見えてきて、最近では田舎の生活も悪くないと思うようになった。

 

50年ほど前、我が集落の人口は3千人を超えていた。今は5百世帯、1千人である。空き家も増えたが、かつての3世代同居から高齢者1人または2人の世帯ばかりになったので、世帯数自体はそう大きく変わっていないのかもしれない。20年ほど前には小学校が廃校になり、子供の姿を見ることはほとんどない。

江戸時代の街道沿いにできた村で、近くを一級河川が流れ、北には長く連なる山地が屏風のように横たわっている。町村合併で「村」から「町」に昇格した後、平成の大合併でめでたく「市」に成り遂げた。すでに地元を離れて久しかったが、かつての村人たちが「市民」になったのは誇らしかった。

実は「市民」の方が「都民」より格が高いと秘かに思っている。「市民」にはギリシャ・ローマ以来の政治主体としての矜持が漂う。フランス革命の当事者であるかのようなロマンさえ覚えないではない。

 

だが、市民としての誇りを享受したのも束の間、現在、我が集落はいわゆる「限界集落」へと猛然と突き進んでいる。限界集落についての公的な定義や基準というものはないらしいが、高齢化と人口減少がハイスピードで進行していて、いずれ集落としての自治機能が維持できなくなると見込まれる点で限界集落への転落の淵に立っていることは間違いない。

子供の頃の村祭りの賑わいを思い出す。ほぼ1キロメートルにわたって道の両側にずらりと屋台が並んだものだ。神社の境内では各部落が継承してきた伝統芸能が披露され、近隣地域から集まった見物客の群れが二重三重に取り巻いた。今やすべてがまぼろしである。

これは我が集落だけの話ではない。どこの集落でも人が減っている。こうなると懸念されるのが上下水道、道路、橋、電力網、通信網、等々の生活インフラを将来にわたって維持していけるだろうかということだ

 

「水道を救え AIベンチャー「フラクタ」の挑戦」(加藤崇/新潮新書)によると、戦後に埋設された水道管がとっくに老朽化しているが埋め替えが進まず、毎年2万件以上の漏水や破損事故が起きている。他方、人口減少は水道料金収入の減少をもたらしていて、水道管の更新率は年々低下しているという。

本書の著者はこの問題に対応すべく米国でベンチャービジネスを立ち上げた。水道管埋設地域の地形や地質、地表の状況(道路等による荷重の有無など)、源水の水質といった環境要因や利用量の多寡、水圧の違い等をデータベース化するとともに、過去の漏水事故の原因や発生パターンをAIに学習させた。これにより水道管の劣化状況をAIに予測させ、更新工事の優先順位を提示することを事業化したのである。日本でもこのシステムがいくつかの自治体で採用されており、効率的な更新工事の遂行に貢献しているという。

 

収入減少と人員削減にあえいでいる水道事業の継続にAIが機能を発揮しているのは素晴らしいことだ。だが、更新工事の現場に目を向けると、人口減少の影響はやはり大きい。効率的な更新計画が立てられたとしても、工事を受注する地場の工事会社が十分な数の作業員を今後も確保できるのかという根源的な問題が残るのである。

水の重要性は言うまでもないが、地方の生活では車も欠かせない。それは道路工事の重要性も高いということだ。特に降雪地域においては一冬越すごとに舗装に亀裂や陥没が生じて走行の障害となる。路面凍結防止剤によって橋梁の劣化も進む。そのため、道路や橋の修復工事が果てしなく続いている。人口が細っていく一方なのに、あちらでもこちらでも人手が必要なのだ。どちらを向いても限界集落だらけという状況で十分な人手をどうやって確保するのか。AIでは解決できない問題だ。

 

この問題を解決するには人を増やす以外になく、限界集落への移住を促進する必要がある。そのためには周到な準備が必要だ。たとえば私の実家がある区画には当初10世帯が住んでいた。これが今、7世帯に減り、大きな声では言えないが10年以内に3世帯に減るのは間違いない。この区画の空き家を国外からの移住者で満たすとしよう。そのとき何が起きるか。3対7で日本人は劣勢に立つのである。日本の常識や生活ルールが通じない状況で暮らしていく困難がありありと目に浮かぶ。懇親を図りたいのはやまやまだが、盆踊りの代わりに耳慣れない音楽で風変わりな踊りを踊れと言われても、もはや体の柔軟性が失われている。

そんな惨めな状況に陥らないためには、あらかじめ多数派工作を講じる必要がある。どうしたら多数派を維持できるだろうか。外国人の移住が進む前に、日本全国の都市部から、まず日本人の若者を呼び寄せるのである。何を今さらというため息が聞こえるが今こそ正念場だ。これまではまだ余裕があったから、地元民が大きな顔をしてエゴ丸出しで移住者の若者たちを疲弊させ、結局何の成果も上げられないというケースが全国各地で見られた。

だが、これからはもうそんな余裕などない。若者たちに居着いてもらわなければ踊り慣れない踊りを踊らなければならなくなるのだ。都会の生活に馴染んだ若者たちと田舎の老人が融和できるかという問題はあるが、日本人であるだけはるかにましだろう。新生児が生まれて育つのを悠長に待ってはいられない。妥協できるところで妥協する以外ないのである。

 

しかし、そもそも地方の限界集落に移住したいと思う若者がどれだけいるだろうか。そんな壁に突き当たったとき、「限界ニュータウン 荒廃する超郊外の分譲地」(吉川祐介/太郎次郎エディタス)を読んで大いに元気づけられた。本書は地価が安く首都圏のベッドタウンになると見込まれた千葉県北東部における投機型分譲地の現状を捉えたルポルタージュである。1970年代に開発され、不動産バブル期に粗悪な造成と安価な建築で売り出された住宅団地の変貌を実地に追った。

著者は住民不在のまま放置された住宅団地の一画にある家を投げ売り同然の価格で購入して奥さんとともに移り住んだ。ルポのためということではなく自らのライフスタイルに忠実な選択をしただけだった。そこで目にした実状をブログや動画で配信したのが評判を呼んで本書の出版にいたったのである。本書では、打ち捨てられた住宅団地に移り住んだ若者たちが他にもいることが紹介されている。行き場所を失ってたどり着いたというのではなく、自ら望むところに従って移住した経緯は大変興味深かった。

 

ほとんど廃墟と化した分譲地にすら住もうとする若者たちがいるのなら、希望する条件さえ満たされれば限界集落への移住を考える者がいてもおかしくない。加えて、正月早々の能登半島地震で思い知らされたように、日本列島は予測できない地震に常に備えなければならない。最も確実に効果が見込まれる備えは「分散」である。特定の都市に人口が集中したままでは被害の極少化を図ることはできない。

今やインターネットさえあればどこでも生活し仕事ができる。今一度本腰を入れて若者たちの移住を促進すべきだ。もちろんそれだけでは日本の人口減少の歯止めにはならないから、国外からの移住者の受け入れは不可避だろう。そのためにも、まず国内移住を進めて、受け入れのための下地を整える必要がある。

 

その方策として、第一に、地方のイメージを刷新しなければならない。まず「農村」、「山村」、「漁村」という呼称を廃止すべきだ。どれも貧しく暗いイメージがこびりついている。「明るい農村」などと言ってみたところで惨めったらしさが増すだけだ。

たとえば農村は「田園街」、山村は「山岳街」、漁村は「海浜街」でどうだろう。「地方」という言い方もよくない。これからは都市部以外は全て「湖水地帯」と呼んでみようではないか。海も含めて豊かに水を湛えている日本である。ビル街と対比して水の存在が際立っているという意味で何ら恥ずかしくない。実体の推移に伴って語義が変化していくのは時代の趨勢だ。