多摩川通信

昭和・平成の思い出など

草原の反乱

 

ウクライナの趣のある美しい街並みが、あっという間に色彩のない瓦礫の廃墟に変わってしまった。戦場の現実がリアルタイムで手元に届く。

最近よく耳にする「抑止」という美しい言葉は、恐怖と希望をともに湛えて心を震わせる。日本人にとって、この言葉がこれほどの切迫感を伴って語られたことがかつてあっただろうか。

第三次世界大戦や核戦争へと発展する可能性を否定できない危うい状況の上に、今、日常が乗っかっている。

 

現在の戦場は東ヨーロッパだが中国の動静からは気が抜けない。中国が台湾の回復を決してあきらめないことは、日本が北方領土の主権回復を放棄しないのと同じことだ。ウクライナの情勢によっては極東で火の手が上がる可能性があることを見据えておく必要があるだろう。

 

中国軍の台湾進攻を想定した米国防総省のシミュレーションでは、米軍が敗北する可能性が高いという結果になったという。補給の不利が大き過ぎることが決定的な要因だという。

他方、最近ロシアからは、北海道に侵攻することもあり得るぞという見え透いた恫喝も届いた。ところが、ロシア軍が仮に北海道に上陸したとしたら、自衛隊は防ぎきれないのだそうだ。「専守防衛」で弾薬の備蓄が制限されているため、絶対的に弾薬が足りないらしい。

 

なんということであろうか。これでは安心して眠られないではないか。ウクライナの平穏が一瞬にして覆される現実を目の当たりにしているのである。だが、これは我々日本人が戦後の平和に安住して現実から目を背けてきた結果に他ならないのだ。

 

これではいかんと、軍事や国際情勢の知識はないが、来たるべき中国との戦いに向けた戦略を自分なりに立案してみようと思い立った。無謀というより無意味である。しかし、座して成り行きを見守るよりは、もっぱら自分を安心させるための材料を見つけ出したいと思ったのである。

 

映画などでは将軍や参謀たちが地図を前にして作戦を議論する。そこでまず地図帳を開いて、中国全土を収めるページを見渡してみた。何事も真実は「見る」ことから得られるはずだ。

しばらく見つめてみたが、地図以上のものは見えない。当り前である。なおも睨み続けたが見えないものは見えない。己にあきれながら早々に地図帳を閉じかけたその時である。

見えた。確かに見える。対中戦略の糸口は地図の上にしっかりと大きく広がっていた。

 

それは、中国を北東部から西部にかけて取り囲むようにしてユーラシア大陸中央部へと広がる3つの地域、すなわち内モンゴル自治区新彊ウイグル自治区チベット自治区の存在である。

 

これらの地域は、古来、それぞれモンゴル人、ウイグル人チベット人の土地である。いずれも豊富な地下資源に恵まれていることが分かっており、それがために中国政府による苛烈な民族浄化の迫害を受けている。

これらはいずれも清朝支配下にあった地域だが、1912年の清朝崩壊まで被支配民族だったという点では漢人も同じである。遡れば漢人は、13世紀から14世紀の元朝においては、清朝下よりもさらにみじめな地位に追いやられていたのであって、中華思想や他民族迫害の根底にあるのは屈辱の歴史に対する反動なのではないだろうか。

 

これらの地域が日米台湾に呼応して蜂起すれば、台湾周辺だけでの戦いとは全く異なる様相を呈することになる。中国軍は広大な領土の北と東と西の三方に戦力を割かねばならず、高原や山脈と砂漠が広がる北と西では補給の困難に直面するだろう。

加えて、石油資源をめぐって領有権を争っている南方の西沙諸島南沙諸島において、ベトナムやフィリピンが領有権回復の好機と見て実力行使に及べば、中国は長大な国境線の四方全てで交戦状態に陥ることとなる。 

 

しかし、そもそもこれらの自治区に蜂起する力があるかという点が問題である。漢人の入植拡大によって既に人口構成の逆転が進んでいるのである。ところが、これらの地域における民族的紐帯の広がりという観点から見直してみると、実はそれぞれに強力な援軍が見込まれる。

 

まず最も強力な援軍となるのはインドであろう。1959年以来、チベット仏教の最高権威であり元首でもあるダライ・ラマ14世を戴くチベット亡命政府はインド国内にある。また、インド軍にはチベット人で編成された部隊もある。それでなくてもインドは中国との間で頻繁に国境紛争を繰り広げている。好機と見れば存分に国境を荒らし回るだろう。

チベット仏教は13世紀にモンゴル帝国の国教となった。また、インド最後の王朝であるムガール帝国創始者チンギス・ハーンの末裔である。「ムガール」とはモンゴルを意味するペルシャ語に由来するという。インド、チベット、モンゴルの関係は深い。

 

新彊ウイグル自治区は、かつて東トルキスタンと呼ばれた地域である。「トルキスタン」とは「チュルク人の土地」という意味であり、チュルク人はイスラム教を信仰するチュルク系民族である。

これに対し西トルキスタンと呼ばれた地域が現在の中央アジアであり、カザフスタンキルギストルクメニスタンウズベキスタンは、ウイグルと同じチュルク系民族の国である。

とはいえ、これら諸国の軍事力からすれば過大な期待はできないだろう。だが、その背後にはチュルク系民族の最強国家が控えている。トルコである。

ウイグル人の人権問題はトルコ・中国間の最大の政治問題となっており、トルコ国民の間にはウイグル人救済のためトルコ政府はもっと積極的な働きかけを行うべきだという意識が強い。

現在、トルコと米国との関係は良好とは言えないが、歴史的友好国である日本が尽力して戦略的体制の構築を進めるべきだろう。

 

内モンゴル自治区モンゴル国の間には国境があるが、本来ひとつの国である。かと言ってモンゴル国による軍事的支援には限界があるだろう。では、モンゴル人に蜂起を望むことは無理なのかと言えばそうでもない。内モンゴルのモンゴル人が最も期待を寄せているのは旧宗主国であり、その旧宗主国とは他ならぬ日本である。

1932年に日本の関東軍の策謀で建国された満州国の領域のうち、西部はモンゴル人の自治地域だった。また、満州国の西に存在したモンゴル自治邦(蒙疆政権)もまた日本軍の支配下にあった。そのふたつの地域を合わせれば、現在の内モンゴル自治区の3分の2に当たる。当時もモンゴル人は日本軍の力によって中国から独立することを目指したのだ。(「内モンゴル紛争 ー 危機の民族地政学」楊 海英/ちくま新書

モンゴル国と連携して支援措置を講じることにより、撃退できないまでも中国軍を引き付けておく戦いができないものだろうか。

 

戦争などしないで済むなら、それに越したことはない。だが、相手がある以上、平和を唱えるだけでは人命と自由が失われる一方だという現実を我々は日々見ている。

長い平和の中にあったが、日本は今、戦いに備えて着々と準備と調略を進めるべき時だ。