1980年代の名物TV番組「オレたちひょうきん族」で、「サラリーマン」というキャラクターが登場したことがある。変身するとスーツ姿の「サラリーマン」となって名刺を差し出す。「普通のサラリーマンじゃないか」と言われると、「だから怖いんだ」と返す。
「普通のサラリーマン」は数において最大勢力である。全部まとまれば民主主義国家では最高権力を握るが、「俺がこの国の最高権力者だ」と言い出す会社員がいたら病院に運ばれる。
1983年、「サラリーマン新党」という政党が旗揚げし、同年及び1986年の参院選で合わせて3議席を獲得した。やがて静かに政界から消えたが、国政に「サラリーマン」という視点を打ち出したのは面白い試みだった。
最近、小学生に対して行われた調査で、将来なりたいものは「会社員」という回答が2年連続で1位となり様々な反響を呼んだ。「夢がない」という見方もあったが、むしろ、普通のサラリーマンが社会の根幹をなしていることをきちんと教えるべきだろう。
日本の高度成長を支え、バブルの勢いに乗って日本経済を絶頂にまで押し上げたのは、数多の名もなき普通のサラリーマンだった。エリートであろうとなかろうと、それぞれに上を目指して仕事の中に自己実現を追い、年功序列で地位と収入の上昇を享受した。ちなみに、「サラリーマン」は和製英語で日本以外では通用しないというのは何やら象徴的だ。
昨今、バブル崩壊以降の長きにわたる停滞の中で、サラリーマンが幸せだった時代は終わったとも言われる。そこへ追い打ちをかけるようにOECDから衝撃的なデータがもたらされた。この30年間、日本では平均賃金がほとんど上がっていないというのだ。順調に上昇してきた他の先進諸国とのはなはだしい乖離が数値で示された。
その要因については、長引くデフレの影響、生産性の低迷、非正規雇用の拡大など様々な見解が示されている。統計処理上の問題ではないかという見方もあるが、何が決定的な要因かはっきりしない。
そのニュースを目にしたとき、驚きの一方で「それはそうだろう」という思いもあった。かつては労働組合に存在感があって、強力な交渉力でベースアップを実現させた。その労働組合の組織率は1949年の56%をピークとして、30年前の時点で25%を切り、現在では16%台にまで低下した。この数字の変化が意味しているのは、賃金交渉の主体が労組から社員個人に変わったということだ。
しかし実際のところ、社員個人が会社と直接に交渉するのは容易ではない。やるなら「増額してもらえないなら転職する」という姿勢でなければ、停滞にあえぐ会社から増額を勝ち取ることなどできないだろう。
だが、会社ごとに閉じられた日本の雇用システムの下では幸せな転職ができるケースは稀であり、それを承知で辞職覚悟で交渉しようとする会社員はそうはいない。社員が腰を据えて要求できない以上、会社が賃金を据え置こうとするのは当然だ。
この点に現れているように、会社という村社会で入社から定年後までを含めて出来上がっている日本型雇用システムは、今や日本の企業と社会の発展を阻害しているのではないかという気がしていたのだが、この本を読んで認識が変わった。これまで日本のサラリーマンが幸せでいられたのは、むしろ日本型の雇用システムのおかげだったのだと思い直すに至ったほどだ。
この本、示唆に富む内容なのだが、タイトルが・・・・。
「お祈りメール来た、日本死ね「日本型新卒一括採用」を考える」(海老原嗣生/文春新書)
本書は日本、フランス、米国の雇用システムを比較している。
まず、フランスだが、本書に記されているその特徴は以下のとおりである。
・職務別の雇用契約であるため、契約上の職務範囲や勤務地を逸脱する配置転換はできない。このため社内異動がなく、欠員は該当実務の経験者を中途採用で補充する。
・ポジションは入社時のまま固定され、昇進することはない。経営管理部門にはグランゼコール等で学んだ者が就く。名門グランゼコールの出身者など、ほんの一部のエリートのみが厚遇される固定的な階層構造となっている。
・同一労働同一賃金が徹底されているため、一般社員の年収はほとんど上がらない。
・社内教育というものがなく、学生が入社するためには長期のインターンシップを受けなければならないが、インターン生が非正規雇用の代替として雇用調整弁となっているのが実情で、組織的な職業教育になっていないとの批判もある。
次に、米国については以下のとおり。
・職務限定型の雇用であることはフランスと同じ。
・欧州や日本に比べて解雇が容易なため、出入りが激しく生存競争が厳しい。
・意欲がある者は働きながら授業料が安いコミュニティカレッジなどでスキルアップを図り、空席公募に手を上げてキャリアを積み上げていく。
これらに対しわが日本の雇用システムはどうか。
・職務無限定雇用で、必要なスキルはOJTで身につけさせる。このため、若年未経験者の大量受け入れ(新卒一括採用)と社内異動が可能。
・その反面、特に大卒の場合、採用基準が出身校の偏差値や人柄といった曖昧なものになりがちで、大学で学んだことは重視されない。
・定年一斉退職等の欠員補充について玉突き異動による末端までの定期異動で対応できる。
・社内での昇進や昇給があり、社員がモチベーションを維持できる。
著者によれば、フランスの若年失業者数は日本の3倍で、正社員の道はなかなか開けないのが実情だという。また、フランスの会社員が残業しないで家で食事をするのが常なのは、給料が上がらないからだそうだ。会社帰りに飲んで愚痴をこぼし合う日本のサラリーマンのなんと幸せなことか。
フランスでは義務教育の段階からエリートと非エリートの選別が行われ、固定的な雇用システムのためその後も挽回のチャンスはない。エリートと非エリートは交わることなく暮らしていくという。庶民からすればなんと閉塞感の強い社会であることか。マクロンの人気が上がらないのもよくわかる。
フランスのグランゼコールや米国のビジネススクールというものも違和感がぬぐえない。多種多様な会社の実務について、机上の学問で身につけられるものがどれほどのものか。所詮エリート選別のためのフィクションに過ぎないのではないだろうか。
日本でもこのような教育機関を導入する方向になってきたが、大学が職業教育への傾斜を強めるのは底の浅い社会へとつながるような気がして薄ら寒い。
日本の会社のありかたにも問題は大きい。会社ごとに閉じこもって、人材の流動性や外部の視点が欠けるきらいがあるのは特に大きな欠陥だ。それは巨大企業でさえも傾いてしまうような躓きの小石となり得る。
本書の著者が述べるように、どこの国の雇用システムにも一長一短がある。日本のシステムには課題も多いが、何と言っても個々の会社員が社内で向上心を持てることは明らかに他国に優る点だ。改善すべき点は改善しつつ、今後もサラリーマンが幸せであり続けられるシステムであってもらいたいものだ。サラリーマンは日本の最高権力者のひとりなのだから。