多摩川通信

昭和・平成の思い出など

韃靼人の踊りの果て

 

「韃靼人の踊り」は、帝政ロシアの作曲家ボロディンのオペラ「イーゴリ公」の中の曲で、哀調を帯びた美しい旋律はテレビCMでもなじみ深い。

原曲名は「ポロヴェツ人の踊り」だが、「世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統」(岡田英弘ちくま文庫)によれば、「ポロヴェツ人」を「韃靼人」と訳したのは誤りだという。

ポロヴェツ人とはチュルク系遊牧民のキプチャク人のことで、タタール人(トルコ語を話すイスラム教徒のモンゴル人)を指す「韃靼人」ではないという。

 

キプチャク人は11世紀から13世紀にかけて、カザフスタン北コーカサスウクライナにまたがる広大な草原地帯に勢力を張り、キエフ大公国ウクライナベラルーシ、ロシアの祖国)、ハンガリー、東ローマを侵略した。

オペラ「イーゴリ公」は、12世紀末、キエフ大公国ノヴゴロド公イーゴリ2世がキプチャク軍との戦いに敗れて捕らわれた史実を踏まえている。

 

本当の韃靼人が襲いかかったのは1237年だった。チンギス・ハーンの長子が君臨したモンゴル帝国西部の勢力が圧倒的な力でルーシ(ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人のルーツ)もキプチャクもひとまとめにして吞み込んでしまった。タタール人と総称されるものには実は様々な民族が含まれていたのだが、モンゴル帝国の勢いの中で全てがモンゴル人となった。

 

以後約500年にわたってルーシはモンゴル人の支配を受けた。ロシア人はその時代のことを「タタールの軛(くびき)」と呼んでいる。それほどの長きにわたって他民族の支配下にあった場合、民族の精神にはどのような影響が残るものなのだろう。ロシア人が今日に至るまでついぞ民主的な政府を持つことができなかったのはその影響だろうか。

 

一方で、ルーシはモンゴル人から多くのことを学んだ。「世界史の誕生」によれば、当時のモンゴル帝国は先進的で洗練された文化を有しており、ルーシは徴税や戸籍、それを扱う役所、さらには騎兵の編成や装備、戦術などをモンゴルから取り入れた。

 

1721年、ピョートル1世がモンゴル帝国からの独立を果たして初代ロシア皇帝となり、1783年、エカテリーナ2世がモンゴル帝国西部勢力の中枢があったクリミアを併合したことにより、ロシアはやっとモンゴル帝国の軛から解き放たれた。プーチンがピョートル1世とエカテリーナ2世を尊崇してやまないのも当然である。

 

 

本書で最も衝撃的だったのは中国の「黄巾の乱」に関する箇所である。後漢末期の184年、農民の反乱が発生して大暴動が中国全土に波及し、その後さらに半世紀にわたって内戦が続いた。その結果、5千万人台だった全人口が4百万人台にまで激減して、華北の住民はほとんど絶滅したというのである。凄まじい話である。

 

これを読んだとき、かつて抱いた疑問が氷解した。

大挙して日本を訪れる中国人ツアー客の爆買いが話題になっていた頃、銀座の歩行者天国で目にした光景に目を疑った。目抜き通りのはるか遠くまで、両脇の歩道の縁にずらりと並んで人が腰かけていて、あるいは足を投げ出し、あるいは物を食い合い、中にはすっかりくつろいで縁石を枕にして寝そべっている者までいた。とうとう鳩が人間に見えるようになってしまったのかと自分を疑った。

イケアが中国に進出した時、陳列してあるベッドで昼寝をする者が後を絶たないと話題になったが、それを壮大な形で目撃したのである。中国人のこのメンタリティは一体どこからくるものなのかと極めて印象深かった。

 

黄巾の乱とそれに続く内戦によってもたらされた中国社会の崩壊の歴史を知ったとき、中国人が秩序というものに価値を認めない理由が理解できた。それほどの壮絶な記憶であれば、時代を超えて連綿として現在の中国人の精神構造に組み込まれているとしても全く不思議でない。

 

加えて、「中国4千年の歴史」などというが、実はそのかなりの部分は遊牧民支配下にあった歴史である。

5世紀から10世紀にかけて、北魏鮮卑)、遼(キタイ人)、後唐(トルコ系)などによって華北を支配されたのに続いて、ジュシェン人(女真人)の金王朝(1115年~1234年)、モンゴル人の元王朝(1271年~1368年)、満州人(ジュシェン人)の清王朝(1644年~1912年)と実に長い間、異民族の支配を受け続けてきた。

挙句の果てに、統治に正統性があるのかすら定かでない共産党の恣意的な専制支配に甘んじている。

 

このような歴史を背負った中国人にとって、政権や政府というものは、距離を置いて冷ややかに見遣るべきものでしかないのだろう。

だが、中国国民の不満が予想もつかない形で大暴発する可能性は常にある。問題なのは、ロシアも同様だが、いったん暴発した巨大国家がうまく収まるような次の体制が全く見えないことだ。

 

大昔、韃靼人が広大な大地を踊りまくったように、ユーラシア大陸の全域でふたたび混乱が渦巻く時代が来るかもしれない。