多摩川通信

昭和・平成の思い出など

万葉のモーツァルト 古今のブラームス

 

クラリネット五重奏曲といえばモーツァルトブラームスだろう。モーツァルトは1789年(33歳、死の2年前)に「クラリネット五重奏曲 イ長調」を、ブラームスは1891年(58歳)に「クラリネット五重奏曲 ロ短調」を発表した。

いずれも至高の傑作だが、その趣きははっきり異なる。モーツァルトの作品は雅やかな気品を湛えてゆるぎなく、明るくのびやかで屈折がない。対してブラームスの作品は旋律の美しさが際立っていて、同時に内省的で繊細な雰囲気が強い。このふたつの作品を比較した吉田秀和の批評は率直すぎてブラームスが気の毒なほどだ。

 

「両者の違いは、もう、どうしようもない。ブラームスの曲の、あの晩秋の憂鬱と諦念の趣きは実に感動的で、作者一代の傑作の一つであるばかりでなく、19世紀後半の室内楽の白眉に数えられるのにふさわしい。けれども、そのあとで、モーツァルトの五重奏曲を想うと、『神のようなモーツァルト』という言葉が、つい、口許まで出かかってしまう。何という生き生きした動きと深い静けさとの不思議な結びつきが、ここには、あることだろう」(「私の好きな曲」吉田秀和ちくま文庫

 

この違いは単に作曲家の個性や才能の問題だろうか。むしろ、1世紀を隔てた時代性の違いが大きいのではないだろうか。

1789年といえばフランス革命が勃発した年である。その後の欧州社会を根底から揺るがした時代のうねりは、室内楽のありかたや個人の感性にも相当の変化をもたらしただろう。ブラームスの作品は自ずから同時代人の憂愁を反映することなしには成立し得なかったのではないだろうか。

また、モーツァルトの時代、クラリネットは誕生してまだ歴史が浅く楽器としての普及は進んでいなかった。その後のクラリネット自体や演奏法の進化はブラームスの作品に取り込まれたはずだ。

 

 

何やら既知感があるなと思ったら、まるで万葉集古今和歌集の違いのようではないか。古今和歌集の歌の知的で繊細な表現は日本文化の高みを示すものではあるが、それでもやはり万葉集のおおどかさと素朴さが織りなす歌々の味わいは別格だと思う。

 

万葉集

春過ぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香具山

石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも

ますらをのうつし心も我れは無し夜昼といはず恋ひしわたれば

春の苑紅にほふ桃の花したでる道に出で立つ乙女

父母が頭掻き撫で幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる

 

古今和歌集

久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

天つ風雲の通い路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに

心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花

 

 

万葉集古今和歌集には音律(リズム)の違いがあると言われてきた。万葉の五七調に対し古今の七五調である。

「七五調の謎をとく 日本語リズム原論」(坂野信彦/大修館書店)によると、万葉の時代には句末を長くのばして詠唱していたため、7音の句末で間のびすることとなり、「5・7」、「5・7」、7と分かれる傾向にあったという。

しかし、それでは結句が孤立して弱くなり、歌が締まらなくなってしまう。その問題を解消するための工夫が結句の反唱だったと著者は言う。万葉集巻16で結句の後に同一の反復句が小さく記されているのはその傍証だと見る。

他方、古今の七五調は、万葉の時代に比べて句末をあまりのばさないようになったため、5音句の後に入る休止の長さ(この点は話が長くなるので本書をご覧あれ)が目立つようになった結果、5、「7・5」、7・7と区分される傾向が生じたのだという。

 

五七調と七五調の違いについて佐佐木幸綱は、「五七調が重厚荘重な調子であるのに比べて、七五調は軽快優美な調子で、平安朝以降の時代的欲求に合致したためだろうとされる」と記している。詠唱のしかたの変化によって生じた音律上の微妙な違いが、歌の趣きの違いとして現れたということか。

 

 

しかし、正直言って、たとえば上記の万葉と古今の歌を見比べてみても、素人の目には五七のリズムも七五のリズムも浮かんでこない。むしろ、声に出して読んだ時の自然な息継ぎは、五七調や七五調と言われるものとは整合しない。

そのため、万葉と古今の味わいの違いをその調子の違いから理解しようとするのは無理がある。そもそも万葉集古今集において五七調とか七五調と言われるものは、本当にあったのかと言いたくなるのである。素人からするとSTAP細胞と同じくらい怪しい。

 

むしろ、両者の味わいの違いが生まれた直接的な要因は、歌集の編纂方法の違いだったと言ってもらった方がわかりやすい。

万葉集天皇・貴族から庶民にまで至る幅広い人々の歌を集めたものであるのに対し、古今和歌集は宮廷歌人を中心とする歌人の歌から選ばれた。いわば歌人同士の競作だから、表現の技巧が研ぎ澄まされていく方向に向かうのは自然ななりゆきである。

その結果、1世紀以上の間における修辞的技巧の蓄積とあいまって、万葉集の素朴でストレートな描写から、心情の機微に焦点を当てた作風へと変わっていったのだろう。

 

万葉集編纂というのは実に壮大な事業だったのだとあらためて思う。地方の農民や防人など様々な階層から多彩な歌を収集するとともに、各地の方言をも忠実に書き留めようとした姿勢は尊い