多摩川通信

昭和・平成の思い出など

習近平の歴史決議を読んで

 

11月11日、中国共産党は、第19期中央委員会第6回全体会議で採択された「党の百年奮闘の重要な成果と歴史的経験に関する中共中央の決議」(いわゆる「歴史決議」)について声明を発表した。

 

この歴史決議に関する中国問題専門家たちの解説を読んでたまげた。

専門家という人たちは書かれていないことを延々と読んでいるのである。「一を聞いて十を知る」どころではない。素人の遠く及ばないところであるが、中国共産党の思う壺ではなかろうかというような気もしないではない。

 

素人なりに見えるものもあるかもしれないと、中国共産党の声明というものを一応読んでみた。

中国共産党第19期中央委員会第6回全体会議コミュニケ

 

率直に感想を言えば「潔さに欠ける」の一言に尽きる。

全編に溢れているのは「中国の特色ある社会主義」、「社会主義市場経済」、「人民民主主義」といった姑息な言葉ばかりである。

 

「中国の特色ある社会主義」などは、高らかに「資本主義」と言ってしまえばいいではないか。「社会主義市場経済」などという意味不明な言葉は、端的に「市場経済」と言わなければ伝わらない。「人民民主主義」に至っては、なぜ堂々と「一党独裁」と言えないのか。

 

過去100年の実績を誇り、次の100年のさらなる発展を目指すと言う壮大な決議でありながら、なぜあんなにも後ろめたさが滲み出ているのか。

その根本的な原因は「中国共産党」という党名にある。

 

中国共産党ロシア共産党のいわば中国支部として発足したものだが、毛沢東がインテリのリーダーたちを追い落として主導権を握った時点で、国民党と覇権を争う王朝簒奪者の拠点に変身したのである。

 

そもそも中国には共産主義が成立する社会条件はなかったのだと「中国の大盗賊」(高島俊男講談社現代新書)は述べる。

当時の中国にはマルクスが考えたような資本家も労働者も存在しなかったのだから、共産主義による革命が発生する余地などなかった。そのため毛沢東は中国独自の革命をやらねばならないと考えたのだが、それは中国の歴史上の「盗賊」(王朝簒奪者)の道にそっくりそのままだというのだ。

「それを中国では『マルクス主義の原理を中国の条件に創造的に適用した』というのだが、実はマルクス主義とは何の関係もありはしない」と隠しようのない真実が痛烈に記されている。

 

「革命」というなら中国の歴史は古代からずっと革命の連続だった。マルクスに頼るまでもない。旧王朝が名もない在野勢力によって跡形もなく転覆されて新しい王朝が成立する。

無頼の侠客だった劉邦が興した「漢」や乞食坊主だった朱元璋が建国した「明」はその代表格である。科挙に落ち続けてノイローゼになった洪秀全が喜劇のような宗教を作り出し、その勢いで打ち建てた「太平天国」は清朝を揺るがせた。

毛沢東はこの系譜に連なる極め付きの「盗賊皇帝」に他ならないと「中国の大盗賊」は言うのである。

 

要するに中国共産党にとって共産主義は政権を奪うための旗印にすぎず、その後の独裁を正当化するための隠れ蓑でしかなかったということだ。

 

「中国の大盗賊」によれば、かつて中国の若い知識人でこの実情を公然と指摘した論文を書いて香港の雑誌で発表した人がいたという。その青年は逮捕されて懲役15年の刑を受けた。論文の要旨は次のとおりである。

毛沢東が指導した革命は農民革命にすぎなかった。しかし、地主政権をくつがえすことは農民でもやったのだ。朱元璋がやった、李自成がやった、洪秀全ももう少しで成功するところだった。

毛沢東マルクス主義者として評価するとすれば、それにふさわしいことをどれだけやったかであるが、中国を建国したこと以外まともなことは何ひとつやっていない。毛沢東がこの世を去った時、中国人民に残したのは経済の崩壊と公安テロのみだった」

 

この論文では「農民革命」と言っているが、農民は農地の上で地道に働いているのが常であり、実際には王朝転覆の主体となったのは農村からあぶれた者たちだった。そのような無頼者たちを「中国の大盗賊」では「盗賊」と呼んでいる。

 

この論文が正鵠を射ていることは中国共産党指導部も否定しようがなかった。鄧小平が主導した1981年の歴史決議は毛沢東による文化大革命の誤りを公式に認めたものである。

 

高島俊男は「中国の大盗賊」で大変興味深いことを記している。

周恩来はおそらく、事実上の帝政は毛沢東一代で終わりにして、あとは鄧小平を首班とする『共和制』を構想していたものと思われる。結局、1976年1月、先に周恩来が死んだ」

これは驚きだ。民主的な「中国共和国」が存在した可能性があったのだ。当時ですらそのような発想があったのなら、今こそ実現の時である。

 

めざましい経済発展を遂げ、大国として国際社会の主役に返り咲いた今、中国がとるべき道は、武力を恃んで辺り構わず威嚇するチンピラのようなあり様ではなく、人類が発展させてきた普遍の価値観を共有する大国にふさわしい泰然たる道であるべきだ。

 

今こそ共産主義というまやかしの衣を脱ぎ棄てる時だ。

借り物の理念に頼るのではなく、共和制の下で堂々と中国国民による信任投票を行って政権の正統性を明らかにしてはどうか。

それこそが今後の百年を見据えた歴史決議を掲げた習近平が果たすべき歴史的使命ではないか。