多摩川通信

昭和・平成の思い出など

中国の行方

 

 

1974年頃のこと。中学校の近くに突然小さな中国物産館ができた。薄暗い入口をのぞくと嗅ぎ慣れない匂いがした。中に入ると中国服、書画、乾物、壺、甕などが並べられていた。その奥に、店番だったのだろうか同年齢ぐらいの人民服を着た少女がひとり、椅子に座って固まっていた。

当時、中国は文化大革命の最中で、毛沢東の思いつきによるでたらめな農工業政策で数千万人ともいわれる餓死者を出した後の激烈な権力闘争により混乱の極みにあった。(マスクや一斉休校などの思いつきによる税金の無駄使いや教育の犠牲を思うと当時の中国を嗤えない。)

 

中国について次に思い出すのは、1989年頃、写真週刊誌に載った写真である。建設が進む中国の高速道路を上空から撮ったもので、複雑に入り組んだ壮大なインターチェンジの姿だった。あの中国でそのような現代的な建造物が出現していることが信じられなかった。

同じ頃、米国のある研究所が、数十年のうちに中国が世界の覇権を握るという予測を発表した。そんなことが有り得るとは理解できなかった。当時は現実的な話とは思えなかったのだ。

 

1989年は共産圏に大きな変動があった年だった。同年6月、中国で天安門事件が発生した。自由化を求める学生たちが北京の天安門広場に続々と集まり、ひと月以上にわたって抗議のデモが拡大を続けた。危機感を覚えた中国共産党は、鄧小平(当時、中央軍事委員会主席で事実上最高指導者)の指導の下、戒厳令を布告するとともに人民解放軍の実力行使による鎮圧を行った。

その実態については今も全容が解明されておらず、死者数が1万に及んだという説もある一方で、天安門広場ではデモ隊は平穏に解散したという外国人の目撃証言もあるが、デモ参加者と人民解放軍の双方に少なからぬ死傷者が出たことは間違いないようだ。

その年の12月、米ソ首脳会談において冷戦終結が宣言された。当事者であるゴルバチョフソ連共産党書記長は、同年5月、中ソ関係正常化に合意するため北京に滞在しており、天安門広場で抗議活動が拡大する渦中に身を置いていたことになる。

 

1992年、鄧小平は「社会主義市場経済」の導入を表明した。市場経済を通じて社会主義を実現するというものだが、このような実利優先の政策が提唱されたことは、中国共産党イデオロギーに基づく政党ではなく、権力闘争と利権維持のための組織であることを如実に示している。

「独裁の中国現代史」(楊海英/文春新書)は、中国共産党の成り立ちから習近平までを論じ、中国共産党とその統治の内実について少数民族である中国人という立場で肌に感じた実情を記している。本書を読むと、コミンテルンの指導の下ごく少数の知的エリートで出発した中国共産党は、毛沢東が実権を握った時点で早くも三国志ばりの権力闘争の装置と化したことがよくわかる。

国共合作中華民国軍に編入された共産党八路軍は、日本軍とまともに戦わず勢力温存に努め、日本軍との戦闘で多大な犠牲を出した国民党軍との闘いに備えた。「抗日を戦った救国の党」という正当性さえ詐取したと本書の著者は言う。戦後、毛沢東は、田中角栄首相や日本社会党訪中団に対して「日中戦争のおかげで政権を取れた」と語ったという。

 

日本では、1983年から中曽根首相の主導による「留学生受け入れ10万人計画」が実施され、中国からの留学生が増加した。2019年時点で中国人留学生数は12万人を上回るに至っている(全外国人留学生31万人の4割)。

 今やコンビニや飲食店で若い中国人の店員を見かけることは珍しくなくなった。上野のアメ横で威勢よく口上を述べている若者が中国人だと知った時にはさすがに驚いた。

 

現在の中国は、GDPが世界第2位となり(統計があてにならないという説もあるが)、5G(第5世代移動通信システム)やAI(人工知能)の技術と利用で世界の最先端にあり、すでにその経済力は日本を追い越した。

軍事力では、現役兵員数218万人・航空機3千2百機・戦車3千5百台・主要艦艇777隻と米国に迫る勢いである(米国:現役兵員数140万人・航空機1万3千機・戦車6千台・主要艦艇490隻、日本:現役兵員数24万人・航空機1千5百機・戦車1千台・主要艦艇155隻/2020 Military Strength Ranking)。

中国が世界の覇権を握る日が来るという米国研究所の予測は、今では現実的な危機となった。香港の現状は他所事ではない。個人の自由が束縛され、密告と粛清の恐怖で支配される無残な世界など想像したくないが、先日の米国大統領選挙の討論会のあり様を見た後では暗澹たる思いになる。

 

かつて西側諸国は、経済成長に伴っていずれ中国は民主化すると期待したが、そうはならなかった。インターネットや留学生などを通じて、共産党による統治の実態を知り得る情報が流入しているはずなのに、中国の14億人の民衆が自由を求めて蜂起しないのはなぜか。

それは、中国共産党の統治が強力かつ巧妙であるというだけではなく、中国の国民自身が現状に満足している面が大きいからではないだろうか。「社会主義市場経済」導入後の著しい発展により豊かさを十分に享受できている以上、多少の不自由や不正義に目をつぶってでも体制を受け入れた方がいいと考えて不思議ではない。

 

中欧のある経済学者が「我々とロシアとの違いは、ロシアには民主主義の経験がないことだ」と言っていたのを思い出す。中国14億の人民も民主主義を経験したことがない。中国人民は、14億人が生きていくための、現状に替わる政治体制を現実的にイメージできないのではないだろうか。

西欧流の民主主義が中国で機能するのか、機能するために必要な条件は何か。中国の民主化を望む西側諸国にしても、実は分かっていないのではないか。それどころか民主主義自体が常に不完全なままで、今もその在り方は大揺れに揺れている。

インターネットの活用による直接民主制の導入という発想が現れて久しいが、導入に向けて現実的な取り組みが進展しているとは聞かない。そんなことをしたら議員が不要になるから進展がないのだとしたら、中国共産党のあり方と根本で違いがないだろう。

 

テレビドラマの 「半沢直樹」は中国でも大人気だそうで、放送翌日にはインターネットで中国語の字幕付きで流れるという。下剋上の展開がたまらないらしいが、ドラマの勢いで体制転覆まで期待するのは無理というものか。それにしても土下座の文化は伝わらないでもらいたいものだ。