多摩川通信

昭和・平成の思い出など

この素晴らしき金融の世界

 

 

金融工学(Financial Engineering)」という言葉を初めて聞いた時は違和感が強かった。本来なじまないものを無理やりくっつけた感じで、最先端を思わせる煌めきに恐れ入りつつも、何となく怪しげなものを感じた。

金融工学とは金融商品の設計や管理にコンピュータによる数学的処理の技術を持ち込んだものだ。米国のアポロ計画終了で失職したロケット技術者がウォール街投資銀行に流れ込み、その工学的技術が金融業務に取り入れられて新しい金融分野が拓かれたといわれている。

 ちなみに投資銀行(Investment Bank)とは、米国で固有の発展を遂げた一種の証券会社であり、金融商品の組成・取り引きや企業の合併・買収(M&A)などを行う。「Bank」といっても預金は扱わない。

 

金融工学による主要商品のひとつが「Structured Finance(仕組み金融)」であり、いわゆるデリバティブ金融派生商品)の中核を占める。

たとえば住宅ローンの場合、金融機関は住宅購入者に対して資金を融資するが、融資が全額返済されるまでの間、回収リスクを抱えたまま資金が固定されることになる。

そのため、債権を回収する前に資金化するというニーズが生じる。一定期間固定されるはずの債権を資金に変えることができれば、金融機関はその資金で新たな融資を行うことができる。

そこで、SPC(Special Purpose Company特別目的会社)を用いた証券化が行われる。SPCを用いるのは、金融機関自体の信用リスクから隔離することにより、発行する社債に最上格の格付けを得るためである。

多数の住宅ローン債権をまとめてSPCに譲渡し、債権の回収金を償還の裏付けとしてSPCが社債を発行する。社債を売って得られた資金が債権譲渡の対価として金融機関にわたる。

SPCに譲渡されるローン債権の回収率は、多数であることによって過去の融資データの統計分析から得られる一定の回収率に収斂する。債権の数が多ければ多いほど、また、ローンの内容と借り手の属性が特定化すればするほど回収率の確実性が上がり、それに基づいて社債の発行額が決定されることになる。

  

先端的でダイナミックな事業展開により巨大な利益を上げ続ける米国投資銀行のあり様は、まさにルールを支配する者が最大の利益を得るという構図そのもののように思われた。

 ところが、「大破局(フィアスコ)」(フランク・パートノイ)を読んで見方が変わった。著者は、モルガン・スタンレーデリバティブに携わり、後にサンディエゴ大学で金融学の助教授を務めた。同書はデリバティブ取引の現場での体験を記したものである。

その中に衝撃的な場面がある。ある時、デリバティブを買った顧客から中途解約の注文が入る。ところが、社内では、どのようにしても、そのデリバティブを中途解約した場合の金利を算出することができなかったのだ。

しっかりとした仕組みが講じられた金融商品であれば、そのようなことはあり得ないはずだった。それは仕組みがインチキだったことを示していた。格付け会社から最高位の格付けを得ていたにもかかわらずだ。

 

米国投資銀行の事業の危うさがまさに大破局として現実のものとなったのが、2008年9月のリーマン・ブラザーズの経営破綻だった。

きっかけは米国における住宅バブルの崩壊により、それまでに大量に貸し出されたサブプライム・ローン(信用力の低い借り手に対する融資)の返済が一気に滞ったことだった。

サブプライム・ローンの膨張をもたらしたのは、複雑化した証券化商品の発行拡大だった。そして、その証券化を支えたのが格付け会社だった。格付け会社による格付けの適正性を審査する仕組みはないままで。

サブプライム・ローンの証券化商品を大量に買い入れたリーマン・ブラザーズは、その証券化商品が償還不能となったことにより破綻に至った。

リーマン・ショックは世界的な信用収縮をもたらし、日本経済もあおりを食って長期にわたる深刻な景気後退の荒波に沈んだ。

 

2016年にはタックス・ヘイブンのSPCを巡って世界的な騒動が起こった。「パナマ文書」事件である。

パナマの法律事務所であるモサック・フォンセカは、世界各地のタックス・ヘイブンに在籍する数十万社のSPCを管理し、世界中の富豪や著名な政治家、大手金融機関などに租税回避の手段として提供していた。

その内部情報が流出し、国際的なジャーナリスト団体の調査によって詳細な実態が報道された。

自国での納税を回避していたことが発覚した政治家は失脚し、マネーロンダリングインサイダー取引に携わった者は逮捕されたが、ほとんどの租税回避者には何ら影響がなかった。明るみに出た大規模な租税回避の実態が世界に衝撃を与えたが、タックス・ヘイブンは今も欧米をはじめ世界中に存続している。

 

金融の世界は欲得をあからさまに追及する苛烈な世界だ。そこでは市場を支配する者が利益を独占する。金融は経済だけの問題ではなく、安全保障とも密接に関係している。金融の主導権を握った国が覇権を握る。

パクス・アメリカーナ(米国の覇権の下での平和秩序)の息切れが気になり始めた一方で、中国はブロックチェーンの技術を用いた人民元基軸通貨化を目論んでいるらしい。

ブロックチェーンは日本人との説もあるサトシ・ナカモト(正体は不明)の発明だ。デジタル庁には、ぜひ、デジタル技術による新しい基軸通貨の確立を狙ってもらいたいものだ。