多摩川通信

昭和・平成の思い出など

人類は如何にして宇宙を測ったか


地球の大きさを初めて測ったのは、ヘレニズム時代のギリシャ人、エラトステネス(紀元前275ー紀元前194)だという。古代の人がどのようにして地球の全体像を測ることができたのか。
エラトステネスが用いた測定方法について、「宇宙創成」サイモン・シン新潮文庫)は次のように説明している。


エラトステネスの時代、エジプトのシエネ(現在のアスワン)では、毎年、太陽の光が井戸の底まで明るく照らす日があることが知られていた。現代の知識で言えば、シエネは北回帰線上にあるため、夏至の正午に太陽が地表面に対して垂直の位置に来る。

シエネから遠く離れたアレクサンドリアでは、太陽の光が井戸の底まで届くことは決してない。それは大地が球形であるためだと気づいたとき、大地の大きさを計算できるのではないかとエラトステネスは思いついた。

そこで、シエネの井戸の底に太陽光が届く同じ日に、アレクサンドリアで地面に垂直に棒を立て、棒の影の先端と立てた棒の上端とを結んだ線と棒とが交わる角度を測った。その角度は7.2度だった。

この角度は、シエネの井戸を垂直に地球の中心に向かって伸ばした線と、アレクサンドリアに立てた棒を同様に垂直に地球の中心に向かって伸ばした線とが交差するときの角度と一致する。(ここは「宇宙創成」に掲げられた図を見ていただいた方が早い。中学校数学の「相似」で理解できる。)

そして、シエネからアレクサンドリアまでの距離を測った。その当時すでに円は360度と認識されており、7.2度は360度の50分の1だから、シエネからアレクサンドリアまでの距離を50倍することで地球の円周を算出したのだ。(今日確認されている地球の円周は約4万キロメートルである。)

地球の大きさが分かったことで、主として三角形の幾何学の応用により、月と太陽の大きさ、地球から月と太陽までの距離も測定できるようになった。

ただし、「宇宙創成」で示されているそれらの測定方法は分かりやすく変形されており、実際に古代ギリシャ人が行ったであろう測定内容とは少し異なる。月までの距離の測り方で、相似の三角形として語られている爪の大きさと腕の長さの比率などは、実際に自分の腕で測ってみたが、「ざっと」とは言え「100倍」は無理がある。また、月の直径の測り方では、月食の推移として示されている時間が月食の実際とは異なり結論に沿うように変えられているのは行き過ぎだろう。


本書で最も感動したのは、人類に銀河までの距離を測る方法をもたらした一人の女性の物語だ。その女性はヘンリエッタ・スワン・リーヴィット(1868-1921)というアメリカ人である。

19世紀半ば、写真技術が天体観測に導入され、望遠鏡の映像を長時間露光して感光板に写すことにより、微弱な光を放つ星をとらえることができるようになった。ハーバード大学天文台は、この写真技術を用いて星のカタログを作成するというプロジェクトに乗り出した。

そのプロジェクトには、膨大な天文写真に写った星の明るさと位置を読み取るという地道な作業が必要であり、リーヴィットはその作業を低賃金で担った女性チームの一員だった。やがて彼女たちはその作業を通じて独自の知見を高めていった。

リーヴィットが注目したのはセファイド(脈動変光星)だった。セファイドは他の星との位置関係で明滅するのではなく、星の内部の状態によって自ら光を発して明暗を繰り返す。

彼女は小マゼラン星雲の中に25個のセファイドを見つけ出し、それぞれの光度と変光周期をグラフにしてみた。そのグラフに現れたのは、セファイドの光度が高いほど変動周期が長いという規則性だった。1912年、リーヴィットはその発見を論文にして発表した。

リーヴィットが発見した規則性に従えば、変光周期が等しい2つのセファイドは光度も等しいことになるが、星は遠くにあるほど光度が低くなるため、変光周期が等しいのに光度に違いがある場合、光度が低い方がより遠くにあることになる。それは、セファイドの比較によって地球からの相対的な位置関係を知ることができるということを意味していた。

その後、国際的な天文学者のチームが、ある1つのセファイドについて地球からの距離を測定することに成功したことにより、リーヴィットの発見結果が補完され、セファイドを比較することによって地球からの距離を測ることができるようになった。
人類はついに「宇宙のものさし」を手にしたのである。

1924年スウェーデン科学アカデミーは、リーヴィットをノーベル賞にノミネートしようと調査に着手したところ、既に3年前に胃がんで亡くなっていたことを知った。
「彼女は受けるべき評価を受けないまま死んだ」とサイモン・シンは記す。


本書は、古代から現代にいたるまで、われわれ人類が宇宙空間をどのようにして理解してきたかを一気に読ませる。そこに示されているのは人類が積み上げてきた壮大な「知」の体系である。