多摩川通信

昭和・平成の思い出など

保守の変容

 

フランス革命についての省察」(エドマンド・バーク光文社古典新訳文庫)を読んでみた。もし、これから本書を読む人がいれば、巻末の訳者による解説から読み始めることをお勧めする。バークの思想の核心と背景が簡潔にまとめられているほか、各章の概要が記されている。原文には章立てがないのだが、約500ページに及ぶ長文を訳者が13の章に分けて各章にタイトルをつけている。

バークは長年にわたってイギリス下院(庶民院)議員を務めてきたホイッグ党(後の自由党)の重鎮だった。フランス革命が勃発したときフランスの若い知人からの求めに応じて革命に対する自らの見解を書簡体でしたためた。それが1790年、イギリスとフランスで出版され両国でベストセラーになった。

昔の人は、手紙に本人の肉声を求めるかのように、一字一句、時間をかけて味わいながら読んだものなのだろう。現代人にとってはまどろっこしくてはなはだ苦痛である。訳者の解説はこの苦痛を絶妙に中和してくれる。

本書は「保守主義」の源流と言われるが、保守主義という言葉はバークの時代にはまだ存在しておらず、本書においても一言も出てこない。

 

保守主義とは何か」(宇野重規中公新書)に、バークの思想のエッセンスがわかりやすく記されている。以下のとおりである。

「バークの保守主義は、すべてをゼロから合理的に構築しようとする理性のおごりを批判するものであり、一人の人間の有する理性の限界を偏見や宗教、そして経験や歴史的な蓄積によって支えていこうとするものであった。人間社会は決して単線的に設計されたものではなく、むしろ歴史のなかでたえず微修正されることで適応・変化してきた。そうである以上、社会が世代から世代へと受け継がれてきたものであり、また将来世代へと引き継がれることを忘れてはならない。バークの保守主義はそのことを説き続けたのである」

 

深く共感を覚える。上記の「偏見」という言葉は違和感が大きいが、原文は「prejudice」であり、「フランス革命についての省察」では「先入観」と訳されている。日本語としてはどちらもしっくりこないところがあるが、人間が社会的に受け継いできた常識的な判断基準を指すのだろう。「フランス革命についての省察」における「先入観」に関する記述の一部を抜粋すれば次のとおりである。

「人が自分の理性だけをたよりに暮らし、それで取引するようなことを私たちは恐れています。なぜなら各人のなかにある理性の蓄えなどそう多いものではないからです。さまざまな国民とさまざまな時代をつうじて蓄積されてきた共同資本を利用するほうがいいと思うのです。わたしの国の思想家の多くはこうした一般的な先入観を否定せず、先入観のなかに生きている潜在的な叡智を掘り出すために知恵をめぐらせます」

 

チャーチルの言葉として次のような警句が伝わっている。「20歳でリベラルでないなら情熱が足りない。40歳で保守主義者でないなら思慮が足りない」

ノーベル文学賞を受賞しただけあってユーモアが効いた味のある言葉だ。思慮が足りているかは大いに怪しいが、確かに若い時に比べてものの見方が保守化しているように思う。成熟というより老化で思考の柔軟性を失いつつあるだけのような気もする。

バークはフランス革命が勃発したとき既に60歳だった。アメリカの独立を支持し、東インド会社の不正を糾弾した高名な自由主義者が、大方の予想に反してフランス革命を批判する立場に立ったのは、実は老化現象だったとしてもおかしくない。だが、それは揶揄すべきことではない。若者は変化を恐れてはならないし、老人は急進を咎めなければならない。人間の社会はそうやって進化してきたのだから。

 

そのような知恵のあり方は「保守主義」のイメージにも影響している。「旧態依然」、「守旧派」、「因循」、「後ろ向き」といったネガティブなイメージがすぐに浮かぶ。場合によっては「利己的」、「独善的」、「都合がいい」といった非難の言葉とも結びつきやすい。それは保守主義の本来的な特質であり、「フランス革命についての省察」が世に出たときには既に現れていたものである。

 

1789年のフランス革命の勃発から1815年のワーテルローの戦いまでの推移を見るとき、革命による最大の利得者はイギリスだった。その四半世紀においてイギリスが主導した7次にわたる対仏大同盟は最終的にフランス革命の封じ込めに成功した。

フランス革命の代償」(ルネ・セディヨ/草思社)は、フランスが革命によって得たものと失ったものとの比較を行った。結果、革命によって最大の利益を得たのはイギリスだった。制海権を確保してフランスの権益を奪うべく立ち回り、世界規模で経済的覇権を確立した。

 

当時、イギリスは既に革命を経験していた。1688年に発生した名誉革命である。その実態はクーデターだった。国王ジェームズ2世を追放して、オランダからウィリアム3世とメアリー2世を国王に迎えた。そのときに公布された「権利の章典」によって議会の権能が確立し、議会政治の基礎が固まった。バークの念頭にあった保守すべき伝統は、この自国の経験と成果に他ならない。

自国のクーデターを称揚しつつ、フランスの革命は否定するという姿勢は、フランス革命によって得たイギリスの利得の大きさとあいまって、いかにも自国ファーストの極めて利己的な色彩を帯びる。だが、これこそが保守主義のもう一つの側面と言える。急進的な変化を避けて現実的な対処を目指す「現実主義」である。

 

現実主義は、現実的でない理想の実現はひとまず置いて、現下の状況に対処して最大の利益を実現しようとする。したがって、バークが唱えた保守主義は当時のイギリスが置かれていた固有の状況に基づくものであり、保守主義の源流ではあるとしても、決して一般化できるものではない。

現に上記「保守主義とは何か」において示されているのは、保守主義と言われるものが時代によって、また、国によって、それぞれに変容してきた事実である。ふたつと同じ保守主義はないと言っていいくらいだ。同じイギリスでも社会主義が脅威だった時代の保守主義はバークの考えたものと同じではない。アメリカにおける保守主義は開拓時代の厳しい生活を背景として、キリスト教信仰やリベラリズムとの関係で独自の進化を遂げた。

 

日本ではどうだろうか。現在、どの政党も現実主義を逸脱していないという点では、もはや保守か否かは大きな問題ではない。それより問題なのは国会審議が活性化しないことだ。つまらない揚げ足取りやテレビ向けパフォーマンスではなく、与党に対して現実的な政策論争を挑める野党が必要だ。与党の提案に対して現実的な対案を提示してもらいたい。民間のシンクタンクを活用するなどして政策を磨き上げてもらいたいものだ。