多摩川通信

昭和・平成の思い出など

尊厳死について

 

安楽死を遂げるまで

安楽死を遂げるまで

 

 

老父脳梗塞で入院し、新型ウイルス対策で面会できないでいるうちに、看護師から体に力が入らなくなったと連絡があった。終りが近いと覚悟した。親族にも状況を伝え、「いい人だった」と各々しみじみ思いはじめたころ、突然、本人から電話が入った。

口も麻痺していたが「暇だからラジオを持ってこい」ということらしい。死ぬ気などさらさらないようだ。以前から「施設には絶対に入らない」と頑なだった。今さら「体が動かなくても自宅で暮らす」などと言い出されては一大事である。もはや「いい人」どころではなくなった。

 

そんなこんなの中で手にとったのが次の2冊だった。

安楽死を遂げるまで」(宮下洋一/小学館

安楽死尊厳死の現在 最終段階の医療と自己決定」(松田純中公新書

 

前者は、欧米で安楽死の現場に立ち会い、安楽死をした本人、その家族、関与した医師、あるいは安楽死を中止した人などへのインタビューを行ったものである。かつて日本で刑法の適用が問題となった事例に関わった3人の医師へのインタビューを含む。

後者は、安楽死の法制化に向けた欧米の挑戦の軌跡と現状、「事前指示」の可能性と限界、日本における安楽死を巡る状況、新たな「健康概念」の提示といった安楽死に関する主要な論点について概説したものである。

  

ひと口に「安楽死」と言ってもその態様は一様ではなく、世界的に概ね以下のように分類されている。

①「積極的安楽死(狭義の安楽死)」:医師が致死薬の注射などにより患者を死に至らせるもの

②「自死幇助」:医師から与えられた致死薬を服用して患者自身が命を絶つもの

③「消極的安楽死」:臨床上の方針としての延命治療の中止

欧州では①と②を合わせて広義で「安楽死」と言っている。

 

また、これらとは別に「尊厳死」(Death with dignity)という言い方もある。スイスやオランダでは①と②の両方が「尊厳死」と認識されている。アメリカではナチスによる蛮行の記憶からか「安楽死」という言葉が忌避され「尊厳死」が用いられている。一方、日本では欧米と違って③だけを指して「尊厳死」と言う特殊な状況にある。

 

 

オランダは2001年に安楽死を合法化(法制化)した。「安楽死を遂げるまで」によると、同国では安楽死について「痛みが耐え難く、治癒の見込みがないこと」などの要件を定めているが、肉体的な痛みに限定しておらず、認知症精神疾患も対象となる。2016年におけるオランダの安楽死6,091件(積極的安楽死5,875件、自死幇助216件)のうち、認知症は141件、精神疾患は60件だったという。

 

同書の著者は、認知症と診断され2013年に致死薬を飲んでこの世を去った79歳のオランダ人男性の家族にインタビューを行った。男性の妻は「自分の人生は自分で決めるという夫らしい美しい死に方でした」と振り返った。男性は自分の母親が認知症で苦しんだため、同じような死に方はしたくないという思いが強かった。同書には家族に囲まれて致死薬を飲み干そうとする瞬間の男性の写真が収められている。さりげない日常の続きのようにさえ見える1枚である。

 

 一方で、同じく認知症の事例であるが、考えさせられる話が「安楽死尊厳死の現在」で取り上げられている。事前に安楽死の希望を意思表明書に記していた74歳の女性が実際に認知症になり、医師が致死薬を注射しようとしたところ女性が抵抗したため、家族が押さえつけた上で医者が注射して死なせたという2016年にオランダで発生した出来事である。社会的な論争を引き起こし、医師は刑事訴追されたが、2020年4月、オランダ最高裁判所は意思表明書に示された意思を重視して無罪判決を出した。

しかし、本書で詳しく述べられているように、重度の認知症であってもなお意思表示が可能であって、現時点の認識や意思が意味のあるものとして存在し得るとしたら、事前の意思表明と現在の意思のどちらが尊重されるべきか簡単ではない。

 

安楽死を遂げるまで」では、癌が見つかって安楽死自死幇助)をしようとしていた55歳の女性が放射線科医の説得で実行をとりやめ、放射線治療と化学療法に専念した結果、癌が根治して16年経っても健在という米国の事例も取り上げられている。説得に当たった放射線科医の言葉は大変興味深い。

「末期とは、医学的に余命6カ月程度のことを指すと言われていますが、これには根拠がありません。治療を断った時点で末期になるのです」

「人々は、耐えられない痛みのせいで安楽死を選ぶのではなく、これ以上生きてもしょうがないという、別の理由から死を選ぶ傾向のほうが強いと言います。私が出会った多くの患者の中で、深刻な親子問題を抱える人たちほど、患者が死期を早めようとしていました」

また、その医師は、安楽死を行う人々には決まった特徴があるとして、「白人であり、裕福であり、心配性であり、高学歴である」という4つを挙げた。

医師は医学の進歩についても語った。

エイズは90年代には必ず死に至る病と見なされていましたが、今ではエイズは死病ではなくなりました。脳腫瘍の治療方法に関する研究も次々と発表されています。脳腫瘍を患った18歳の大学生は、手術と放射線治療の後、脳腫瘍の再発により他界するまで、新しい家族を作って20年以上生きました」

 

安楽死尊厳死の現在」において提示されている「健康」の捉え方も示唆に富んでいる。「重要なことは、『完全に良好な状態』をめざすことではなく、苦境をどのように和らげ、どう適応し、やりくりしていくかという観点である」と著者は述べる。

同時に、全身の筋肉が動かなくてもパソコンでメッセージを伝えることができるようになったことや、ロボットスーツを神経筋疾患難病の治療に用いることをめざす臨床試験が成功したことも紹介されていて、著者の言う「適応」や「やりくり」の可能性が広がっていることがわかる。 

 

現在、日本では安楽死を合法化した法律は制定されていないが、積極的安楽死(上記の①)と消極的安楽死(延命治療の中止/上記の③)について、判例は一定の要件を満たした場合については違法性を認めていない。

立法措置によって終末医療の現場での対応方針が明瞭になる反面、十分な対応体制が構築されないままで合法化が先行した場合のリスクも大きい。とはいえ、所詮我々人間がやることで、あらかじめ完璧な準備ができることなどあるまい。社会的なリスクを覚悟の上で新しい世界を切り開いてきた欧米諸国の人々の勇気を讃えたい。