多摩川通信

昭和・平成の思い出など

ゆりかごの前

 

昨年春先に脳梗塞で倒れた老父が点滴だけで命脈を保っている。この1年数か月の間に3つの病院と1つの老人施設でお世話になった。そのどこでも実に至れり尽くせりの手厚い治療と看護と介護を受けてきた。

ひと月ほど前、担当医師から連絡があり、点滴に使える血管がなくなってきたとのこと。点滴ができなくなったときの措置としていくつかの提案があったが、本人に苦痛を与えないよう全て断って最後を看取ることにした。医師の話からするとほぼ1週間ぐらいで臨終に至るものと思われた。

 

こうなれば葬儀の段取りが必要だ。親戚中に「あと1週間で死にそうだ」と触れ回り、葬儀社との打ち合わせなど万端を整えて待ち構えた。

ところが、いつまでたっても危篤の連絡がない。「まだですか」と病院に問い合わせると、なんと担当の看護師さんたちが針を細いものに替えて、使える血管を探しまくって点滴を続けてくれていたのである。

早く逝ってもらわないと具合が悪いような妙な状況になってしまったが、電話の前で深く頭を下げた次第である。

 

そんな折、いわゆる「赤ちゃんポスト」のその後を追った報道番組を目にした。最初に預けられた幼児が里親の愛情をいっぱいに受けて健やかに成長し、今春、晴れて大学生になったという。

それに触発されて「なぜ、わが子を棄てるのかー「赤ちゃんポスト」10年の真実」(NHK取材班/NHK出版新書)を読んでみた。これは熊本市の民間病院である慈恵病院が日本で唯一の赤ちゃんポストを設置した試みを多角的に取材したものだ。

赤ちゃんポスト」というのは一般的な俗称であり、慈恵病院の施設の名称は「こうのとりのゆりかご」という。

 

その施設は、不運な妊娠で苦境に追い込まれた女性たちの最後の駆け込み先となるべく平成19年(2007年)に運営を開始した。匿名で預け入れることができる点が最大の特徴である。

寄り添う者もいない孤独と絶望の中で、母子ともに危険な孤立出産をし、回復していない体で遠方から熊本へと向かう追い詰められた母親たちがいる。中には「ゆりかご」の扉を閉めたものの立ち去ることができずに立ち尽くしていた母親もいたという。

 

それを読んだとき、思わず胸を抉られる思いがした。同時に、激しい困惑と疑問が渦巻いた。

何というアンバランスだろう。人が死んでいく局面ではこれでもかというほどの手厚い対応がとられているのに、生まれる局面ではこんなにも悲惨な状況が生じている。我々の社会はこんな不均衡を許容していいのか。

そのような妊娠に至った経緯については、身勝手だとか、思慮に欠けるとか、誰かに相談できたはずだとか、非難することはいくらでもできるだろう。だが、そのいずれも生まれてくる子どもに負わせるべき罪ではない。

 

熊本市は「こうのとりのゆりかご」の運営状況について、有識者による検証を定期的に実施し、検証結果を公開してきた。その報告書によれば、平成19年5月から令和2年3月までの間に預け入れがあった155件のうち、判明した限りでは熊本県外から預けに来たケースが9割にのぼるという。

「こうのとりのゆりかご」第5期検証報告について / 熊本市ホームページ

 

 

赤ちゃんポストは全国各地に設けられるべきだ。だが、状況を是正するための核心は「相談体制の充実」にある。

慈恵病院でも「こうのとりのゆりかご」の運営と併せて相談体制を構築している。これまでに全国から2万件以上の相談に応じてきたという。

 

赤ちゃんポストはあくまで最後の砦であって、その前に社会的に対応できる余地が大きい。国も公的機関の相談窓口を利用するよう勧めている。

しかし、勇気を振り絞って相談窓口を訪ねても、周囲に筒抜けの状態で話を聞こうとするようなあり様では逃げ帰るしかないだろう。

 

部署として窓口を設ければ済むという話ではない。プライバシーを厳密に秘匿できる体制を整えるとともに、相談者に寄り添って個別に問題解決に導くことができる人材の育成を進める必要がある。

しかも、継続的に対応する必要があるから、他の業務との兼務で片手間でこなせる仕事ではなく専任体制を敷く必要がある。

 

そんなきめ細かい実質的な体制づくりを全国で進めるとしたら、相当の予算規模に膨れ上がることは避けられない。しかし、少子化対策を重要政策の一つとして掲げるなら、かつて横行した「やったふり」ではなく本格的に取り組むべきだ。

 

ではその財源はどこから捻出するか。高齢者に対する医療や介護を大幅に削減すればいい。最近注目された映画のように、一定年齢以上の高齢者に対しては積極的な医療を行わないこととして安楽死の実施を解禁すべきだ。

そんなことは選挙では話にならないというなら、高齢者の投票権は1票ではなく0.5票とし、未成年者1人につき0.5票を親に付加したらどうか。必要なら憲法改正に向けた国民的議論を提起すべきだ。

 

政権選択の軸となり得る野党が存在しないままでは、いつまでたっても意味のある国政選挙にならない。思い切った少子高齢化対策を掲げて打って出る政党が現れることを期待したい。