多摩川通信

昭和・平成の思い出など

崇貞の庭に

 

朝陽門外の虹-崇貞女学校の人々-

朝陽門外の虹-崇貞女学校の人々-

  • 作者:山崎 朋子
  • 発売日: 2003/07/04
  • メディア: 単行本
 

 

昭和51年(1976年)の夏、桜美林の名は一躍全国に轟いた。  

第58回全国高等学校野球選手権大会で、桜美林高校(西東京代表)は、夏の甲子園初出場だったが名だたる強豪校を打ち破って勝ち上がり、初優勝を狙うPL学園(大阪代表)を延長11回さよなら勝ち(4対3)で下して劇的な優勝を飾った。誰も予想しなかった結果だった。

桜美林の選手自身「一度は勝って校歌を歌いたい」という思いで臨んだ大会だったが、一方で「勝てるとは思わなかったが負ける気もしなかった。甲子園ではそういう気持ちがどんどん強くなっていった」とも振り返っている。伸び盛りの若者たちが持つ可能性が大方の予想を超えて煌めいた夏だった。

東京に優勝旗が渡ったのは、大正5年(1916年)の第2回大会における慶應義塾普通部の優勝以来、実に60年振りで、東京都民の狂喜は頂点に達した。甲子園に向かってバスで学校を出発したときの見送りは2人だけだったが、帰りは丸の内にあった都庁の前から校舎のある町田までパトカーの先導でオープンカーを連ねてパレードした。沿道の建物からは盛大に紙吹雪が舞った。

東京都民に限らず、今でも桜美林と聞けば、あの夏の日々を思い起こす人が多いだろう。

 

現在、大学から幼稚園までを擁する学校法人桜美林学園は、その沿革の冒頭に「1921年、中国北京の朝陽門外に崇貞学園創立」と掲げている。

崇貞学園とは、キリスト教の牧師だった清水安三(1891-1988)が妻の美穂とともに、北京の貧民街の娘たちに刺繍と読書き・計算を教えるため1921年に始めた工読女学校(後に崇貞女学校と称した)が、後に正式の初等・中等学校へと発展したものである。

 教会などの組織が設立したものではなく、清水安三が個人で立ち上げたこの学校は、常に綱渡りの資金繰りに迫られたが、危機のたびに様々な人々の支援を得て、敗戦により国民党政府に接収されるまで存続した。

 

 その間、1933年には、同志だった妻の美穂を結核で亡くした。その遺骨は、美穂の希望により崇貞女学校の庭に埋められた。

その後、女子教育の研究者で青山学院女子専門部の教授だった小泉郁子を後妻に迎え、教育内容の充実を図って崇貞学園へと発展させた。すでに研究者として名を成していた小泉が、敢えて北京のスラム街に赴いた志の高さと胆力に感嘆せざるを得ない。

 

1946年3月、清水安三と郁子の夫妻は崇貞学園を失って日本に帰国するが、ただちに再起に向って動き出す。そして早くも同年5月には、文部省の認可を得た上で、東京都南部の町田市に桜美林学園(高等女学校)の開校を果たす。

(帰国から開校までがこんなに早かったのは特別な背景があったのではなかろうか。勝手な想像だが、ウィリアム・メレル・ヴォーリズによるGHQへの仲介などがあったとしてもおかしくないと思ったりもする。また、安三の日本での活動拠点は主に関西であったのに、東京で再起を図ったことにも何か事情があったのであろう。)

 

 「桜美林」の名は、安三、美穂、郁子がともに学んだ米国オハイオ州の Oberlin College からとったものである。(現在、同大学は桜美林大学の提携校となっている。)

Oberlin College は、1833年の創立時点から女性に門戸を開き、1835年には黒人を受け入れた先進的な歴史を有し、地域開発や教育事業で名を残すフランスの牧師、ヨハン・フリードリッヒ・オベリン(Johann Friedrich Oberlin/1740-1826)の名を校名とした大学である。

 

戦後においても清水安三と郁子の野心的な取り組みが衰えなかったことは、桜美林大学におけるリベラルアーツの導入、ネイティブ主体の英語教育、 留学生の派遣・受入れの旺盛な実施といった先進的な試みに見てとれる。

崇貞学園は日本の敗戦で中国に接収されたが、「北京市陳経綸中学」と名称を変えて現在も存続している。また、美穂の遺骨を埋めた崇貞女学校の名は、現在、桜美林大学町田キャンパスの崇貞館に受け継がれている。

 

 「朝陽門外の虹 崇貞女学校の人びと」(山崎朋子岩波書店)は、清水安三、美穂、郁子、さらにはその周囲で直接・間接に3人の事業を支援した数多くの人々の事績を現在に伝える。読みながら人の志を支える信仰の力の大きさに触れたような気がした。

 

工読女学校から桜美林学園に至る一連の取り組みからは、社会事業の志というものが国や時代を超えて連綿と引き継がれるものだと思わされるとともに、固有の志と理念に基づく私立学校の存在は社会に厚みをもたらしていることに思い至る。