多摩川通信

昭和・平成の思い出など

SNS第2章への期待

 

フェイスブックのユーザー数は世界全体で29億人を超える。世界最大のソーシャル・ネットワーキング・サービスSNS)である。「フェイスブック」(デビッド・カークパトリック/日経BP)は、2004年の誕生から2010年までの軌跡を当事者たちへの密接な取材に基づき詳細に伝えている。

 

フェイスブックとは元々は米国の高校や大学で作成されていた顔写真付き名鑑のことであり、SNSフェイスブックはそのオンライン版として学生たちが作り上げたものだ。そのため、2004年2月4日、ハーバード大学の寮の一室から学内ネットワークに乗せて公開されたとき、システムの名称には「ザ・フェイスブック」と定冠詞が付いていた。

定冠詞が外れたのは、利用者が学外へと急速に広がり、会社形態をとってスタートアップ企業として世の中の注目を浴びるようになった後のことである。と言っても2004年の公開からわずか1年半後のことであり、その事業展開(ユーザーの増加)は一貫してとにかく速い。

 

作ったのはハーバード大学の2年生でコンピュータ科学を専攻していたマーク・ザッカーバーグと寮のルームメイトたちである。学生たちはこのシステムを熱狂的に歓迎した。主な使い途はガールフレンドを見つけることだった。

ユーザーはハーバード大学から他の名門大学に、そして全米の大学へと広がり、さらには高校にも門戸を広げた。2006年9月には一般に公開され、ついには国境を越えた。

 

SNS自体はザッカーバーグたちの発明というわけではない。先行して事業化されていたものが既にいくつもあって成功と失墜が積み重なっていた。当時の先行事業の中には現在も存続しているものもある。

フェイスブックのベースになっているのは学生同士の交流をスムーズにするためのツールという発想である。新たに加わろうとする者は既存のユーザーから友だちとして認定されることによってユーザーとなることができる。そのため実名での登録が必須の条件とされており、その点が先行するSNSと異なっていた。

 

この実名主義はユーザー間のコミュニケーションに信頼性と秩序をもたらした一方で、その後長く尾を引く深刻な問題の根源ともなった。ユーザーのプライバシーの保護を巡る問題である。

フェイスブックはユーザーの交流拡大を促進するための機能を次々と追加していったのだが、蓄積された個人情報の増加とその情報をユーザー間で共有するための機能の高度化に伴って、ユーザーの意に反して個人情報が広く開示されてしまう事態がたびたび発生した。

同時に膨大な個人情報を一企業が蓄積し続けることに対する社会的な懸念が高まり、米国の消費者団体などが政府に調査と対処を求める動きも現れるほど問題が大きくなった。

 

フェイスブックは大手ベンチャーキャピタルマイクロソフトなどから豊富な資金を受け入れてデータセンターの拡大とユーザーの増加を押し進めたが、事業として利益を生むようになるまでには時間がかかった。

グーグルやツイッター(ユーザー数4億3千万人)なども収益の柱になっているのはネット広告なのだが、ザッカーバーグは広告の導入を嫌った。ユーザーの快適な使用感を妨げたくないというのがその理由で、収益よりもあくまで成長を追求する姿勢を崩さなかった。

この点はよくわかる。特にユーチューブで本編の前に広告を長々と(実際は大して長くないのだが)見なければならないのは本当に煩わしい。

 

出資者たちも急がなかった。拡大を続ける巨大ネットワークはいずれ何らかの形で必ず利益を生むと見ていたからだ。経営幹部も広告に依存しない新しいビジネスモデルを模索した。IT業界にも、これまでとは全く別種の収益源が存在するはずだという期待が満ちていた。

しかし、その新しいビジネスモデルは容易に見出すことができなかった。結局、やはり広告を主体とするということになったのだが、フェイスブックは広告主からすると極めて魅力のあるシステムだった。ユーザーが特定の関心事項ごとにグループを形成するため、広告の狙いを絞りやすく、より効果的に広告を出すことができたからだ。

 

一方で、ザッカーバーグフェイスブックの価値を別のところに見定めていた。知己のつながりを核とした強力な配信機構であること自体に大きな価値があるはずだと見ていたのである。フェイスブックは巨大なデータベースであり、サービスの利用範囲が広がれば広がるほど単なるサイト以上のものに進化し得るという壮大な期待感を経営陣は共有していた。

 

 

2012年2月、フェイスブックは上場して株式を公開した。それは成長の追及と事業の革新について一区切りをつけたということなのだろう。

また、2021年10月には商号をMeta(メタ)に改めた。今後はメタバース(仮想空間)事業に軸足を移すということらしい。フェイスブックに限らずSNS全体に伸び悩みの傾向が現れてきたことや、景気低迷に伴う広告収入の減少も背景にあったようだ。

SNSにおける新しいビジネスモデルの追及はこのまま頓挫してしまうのだろうか。市民民主主義の基盤とさえ見なされたSNSがここで勢いを失ってしまうのは残念だ。

 

ザッカーバーグツイッターを「簡潔で洗練されたシステムだ」と称賛し、買収に動いたことがある。提示されたとてつもない金額を丸呑みにしてみせたがツイッター側が応じなかった。

ツイッターフェイスブックとは異なり人的なつながりをベースとしていないため、情報の伝播力において独自の強みを持っている。しかし、そのツイッターも昨年10月にイーロン・マスクが買収して以来、大量の退職者を出すなどして大揺れである。マスクは広告に依存した収益構造から転換する必要があると主張している。

 

今やインターネットで通話ができる時代である。スターリンク(マスクのスペースX社が運用する衛星群システム)による衛星インターネットが利用できるようになれば、電話料金の代わりにSNS料金を払ってスマホを使う時代が来るのだろうか。それなら広告に依存しないSNSの新しいビジネスモデルが成り立ち得る。かつてIT業界が期待したSNSの新しい展開が幕を開けることになる可能性も高まる。

 

ツイッターの創業者の一人が書いた「ツイッターで学んだいちばん大切なこと」(ビズ・ストーン/早川書房)に味のあるエピソードが記されている。

初期のツイッターは技術力が伴わず、サーバーに負荷がかかるとシステムがよくダウンした。2007年6月、アップルがiPhoneを発表するという噂が飛び交ったとき、その発表の前日にツイートがあふれて断続的にシステムが落ちた。ツイッター社内では社員総出で深夜まで回復作業に当たった。

その時、誰も注文していないのに宅配ピザが次々と届いた。やがてツイッターの画面に「ピザ届いた?」というツイートが現れた。いつものように回復作業に追われていることだろうと、ユーザーたちが差し入れをして励ましてくれたのだった。SNSへの支持と期待の底堅さを物語る話だ。