多摩川通信

昭和・平成の思い出など

宅急便が目指したもの

 

「宅急便」はヤマト運輸登録商標である。同社は全国に遍く提供する宅配便サービスを初めて事業化した。それを実現した小倉昌男ヤマト運輸の二代目社長であり、到底無理と思われていたこの難事業の実現によって経営破綻に瀕していた同社を新たな発展へと導いた。宅急便をはじめとする宅配便サービスは今や生活や業務になくてはならないものになっており、まさに「社会インフラ」と呼ぶにふさわしいものとなっている。

 

その事業化を目指した苦闘と達成の経緯は自著「小倉昌男 経営学」(日経BP社)に詳らかに記されている。その輝かしい成功の陰で小倉はもうひとつの苦しみに向き合い続けていた。「小倉昌男 祈りと経営 ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの」(森健/小学館文庫)は、そのもうひとつの苦しみに光を当てた。小倉は死を目前にしてあえて渡米する。そこには小倉の切なすぎる思いがあった。

 

小倉の父康臣は、1919年(大正8年)、東京でトラック4台から運送事業を始めて、三越の商品配送などの近距離輸送を中核として事業を拡大し、戦前には日本一のトラック会社と認められるまでに成長させた。しかし、その成功体験があだとなり、戦後の道路整備の延伸と家電製品の流通拡大に伴う長距離輸送の進展の流れに乗り遅れた。

 

そこに1971年(昭和46年)に社長に就任した小倉自身の判断ミスが重なった。長距離輸送への参入を果たしたものの、大口輸送を主軸にしようとしたため業績が悪化したのだ。大口輸送は小口輸送にくらべて利益率が低いことに気がついたときには手遅れだった。

その頃のヤマト運輸は営業利益率が業界最低レベルをさまよい、その他の経営指標においても同業他社に劣っていて「危ない会社」と目されるほどで社内の雰囲気は暗かった。

 

ヤマト運輸の業績が良かったなら宅配事業に挑戦しようなどとは思わなかっただろう。当時、個人の小荷物の配送は郵便小包の独占状態にあった。大きな需要があることはわかっていたが宅配事業に参入しようという企業は皆無だった。採算が取れる見通しが立たなかったからだ。

個人小荷物の宅配はいつ発注があるか分からず、配送先も予測がつかない。それに対応しようとしたらコストが跳ね上がることは素人の私でもわかる。採算が取れないという判断に至るのは当然であり、現状に問題のない会社があえて乗り出す事業ではない。

 

起死回生の一手として宅配事業に目を向けたきっかけについて、上記「経営学」では吉野家の牛丼に言及している。吉野家が牛丼ひとつに絞って成功したという日経新聞の記事を思い出したことが新しい業態への挑戦という発想につながったというのである。だが、この話はすんなりとは腹に落ちない。

一方、「祈りと経営」では、小倉と親しかった業界関係者の言葉として「小倉さんが宅急便のアイディアを固めたきっかけは佐川急便だった」という見方を取り上げている。佐川急便のホームページを見ると確かに、「1957年、京都-大阪間で1個のお荷物をお届けすることからスタートした」と記されている。佐川が飛脚業によってその後の業容拡大の基礎を固めた事実は、宅配が事業として成立し得る証左として小倉を勇気づけただろう。

 

「宅急便」は1976年(昭和51年)にスタートし、「地域別均一料金」と「翌日配送」を掲げて宅配サービスの商品化を推し進めた。ハブ・アンド・スポーク方式で配送ネットワークを構築するための大規模投資を経て、利益が出始めたのは1980年(昭和55年)だった。

宅急便がもたらす現金収入によってヤマト運輸の財務体質は急激に改善し強化されていった。「経営学」の中で小倉が宅急便で日銭が入ってくることは実は始めるまで全く念頭になかったと正直に語っているのは面白い。

 

宅急便を展開する過程で小倉が特に力を入れたのは「サービスが先、利益は後」という考え方を社内に徹底することだった。このことは小倉が事業の社会性や公益性を強く意識していたことを示している。

主務官庁の許可や認定を受けた事業だけを公益事業と捉える考え方は今の世の中には適合しない。大規模ITサービス事業などはその公益性を意識することなしには成り立たないし、社会規範のあり方としても現実に即した視野の広さがなければ適正を欠く。

公益法人の制度などは実はその実態は税制にすぎない。優遇税制の適用対象を限定するために公益事業の認定が必要となる。その結果は役人の天下り先の確保という民法時代からの浅ましい構造の維持に寄与しているだけだ。

 

そもそも営利事業と公益事業を峻別しようとする考え方自体が現実的でない。公益事業を行おうとする者は一体どうやってその事業を継続し拡大するのか。収益を上げながら長く公益に資する事業を実施してその享受者を広げていってこそ世の中のためになる。宅急便はまさにその実例と言える。だからこそ消費者が支持し事業として成立したのだ。

 

宅急便の成功をもたらしたものは経営の技術などではなかった。そのことは上記2冊の中で示されている小倉本人の言葉からも明らかだ。素人の私から見ても「えっ」と思うような判断の誤りや見落としがあったことを率直に認めている。成功の要因はひとえに、利用者の利益を考え、利用者に対して誠実であろうとする強固な動機にあったのだと思う。

「祈りと経営」には小倉のそのような人間性がありありと現れている。病に蝕まれ死を目前にしながらもなお、娘に寄り添ってやるために無理を押して渡米しようとする姿は誠実の極みだ。