多摩川通信

昭和・平成の思い出など

闘う牧水

 

幾山河こえさりゆかば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく  

わが小枝子思ひいづればふくみたる酒のにほひの寂しくあるかな

かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり

 

牧水の歌はおおどかな朗詠の調子が心地よい。牧水の友人だった俳人の飯田蛇笏や歌人土岐善麿は、牧水が気分が高揚すると朗々と自作の歌や好きな詩句を朗誦したことを憶えていて、それがまた絶品だったと追想している。

 

若山牧水 流浪する魂の歌」で大岡信は牧水の歌を次のように評している。

「牧水は歌を作る上で理論とか方法論を考えることが極度にとぼしかった人であり、直感的な把握力には富んでいたが、分析的な追及力には欠けていた。分析的追及力が弱い芸術家の特徴のひとつは、気が乗っているときの作とそうでないときの作で落差が大きいということである。もちろん、この欠点は牧水のまぎれもない個性にもとづくものであったから、気乗りがすればそのままで他の追随を許さぬ朗々たる歌を生みだすみなもとにもなったのである」

 

同書の「解説」で佐佐木幸綱は、牧水は現在の詩歌壇においては不人気だと言いつつ次のように述べる。

「屈折の少ない朗々たる調べ、非時代社会的な作風、個に執しない開放的な抒情質、甘美な詠嘆調、初期牧水にとくに見られるこうした特質は、現代詩歌史が目ざしたところとはあきらかにちがっていた。牧水の歌には、読者に緊張を強いるような厳しさはない。いわゆる破滅型の詩人が応々にして持つ悲劇性も少ない。要するに自然体なのだ。牧水の名歌は気分の昂揚がそのままリズムになっているのである」

 

牧水の歌と生涯は「恋」と「旅」と「酒」に貫かれている。

牧水は学生時代にひとつ年上の女性と出会って恋に落ちた。胸の病が癒えたばかりのその女性は、痩せてすらりとした美しい人だったという。竹久夢二が描いた絵のような、たおやかで儚げな女性の様子が目に浮かぶ。名を小枝子(さえこ)といった。

やがてふたりは親密な関係になったが、二十歳そこそこの牧水にとって実は容易な相手ではなかった。小枝子はすでに二人の子を持つ人妻だった。病の療養後、どのような事情があったものか、婚家には戻らず独りで上京してきたのだった。牧水は小枝子との結婚を望んだが、小枝子の心は揺れたままで、結局5年に及んだ恋愛は懊悩のうちに終わりを告げる。

小枝子との恋愛は牧水の初期の歌集を名歌で彩った。牧水は小枝子をながく忘れることができなかったのだが、ある日上野で小枝子を見かける。年配の上品な女性と連れ立って歩いてくる穏やかで幸せそうな様子を目にして、「これでまあ僕も楽に死ねそうだ」と友人に語った。

 

牧水は大学を卒業した後、正規の職に就くことなく、詩歌雑誌を主宰しようと悪戦苦闘を重ねた。卒業直後に創刊を企図したものの資金不足で挫折した「新文学」に始まり、創刊・廃刊・復刊を繰り返した「創作」、1号だけで廃刊した「自然」、半年で廃刊となった「詩歌時代」と、雑誌の刊行に挑み続けた。

どれも軌道に乗せることができず負債が膨らんだが、牧水の旅がそこから始まった。歌の揮毫会で資金を集めるため、北海道から朝鮮にいたるまで各地を精力的に回った。揮毫行脚が成り立つほど牧水の歌には人気があった。それらの旅で得られた感興は、旅を詠んだ歌の数々とともに気負いのない文体の紀行文として結実した。

 

牧水はまた大いに酒を愛した。旅にあっても日々1升から2升も飲んだという。その酒は高らかに酒好きを歌う他に類のない歌の数々をもたらした。44歳で肝硬変で急逝したが、臨終の床においても酒を飲み続けた。

その死に立ち会った医者は、強烈な残暑だったにもかかわらず死後3日を経過しても屍臭も死斑も現れなかったのは、内部からアルコールに浸った状態にあったためではなかったかと書き残した。

 

佐佐木幸綱が「牧水は何ものにも帰属せずに生涯を終えた」と解説に書いた点は、牧水の歌と生涯を見る上で極めて重要な視点だ。独立独歩で雑誌創刊の事業に挑み続けたことこそ、牧水の歌に「恋」「旅」「酒」の彩りをもたらした根元的な要因だったのだ。

小枝子が牧水の求婚に応じきれなかったのは、牧水に安定した収入がなかったことが大きかったであろう。旅に追われたのは雑誌事業による負債のためだった。思うように志を成し遂げることができない苛立ちは、なおさら酒の慰めを必要としたかもしれない。

 

牧水が雑誌事業に成功できなかったことが単にその経営能力の問題だったのかどうかはわからない。どのような事業であれ成否の要因は単純ではないだろう。確かなことは、若き牧水が志の実現に挑み、何ものかに帰属することを潔しとせず生涯にわたって闘い続けたということだ。その闘いが昇華したものこそ牧水の作品だった。