多摩川通信

昭和・平成の思い出など

団塊の世代は何を変えたか

 

団塊の世代 〈新版〉 (文春文庫)

団塊の世代 〈新版〉 (文春文庫)

  • 作者:堺屋 太一
  • 発売日: 2005/04/08
  • メディア: 文庫
 

 

団塊の世代」とは1976年に出版された堺屋太一の小説のタイトルである。

1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)の3か年の出生者数は805万人と日本の歴史上最大だった。これに鉱業用語の「団塊」を当てた。団塊とは、本来、地層中にある周囲と成分の異なるかたまりを意味する。執筆当時、通産省の鉱山石炭局に勤務していた関係で思いついたものらしい。以来、「団塊」は、本来の鉱業用語としてよりも、この世代が有する空前絶後の人口を指すものとして広く知られるようになった。

 

805万人という出生者数は、前の3か年(1944年から1946年は終戦前後の著しい混乱により人口統計が存在しないため1941年から1943年)の676万人及び後の3か年(1950年から1952年)の648万人と比べ2割も多い。1949年の日本の総人口は8,177万人だったから、団塊の世代はその1割を占めていた。

 

かつて「団塊の世代が通った後にはぺんぺん草も生えない」と揶揄された。確かに、これほど大きな存在であれば、日本社会に大きな足跡を残してきたはずだ。団塊の世代は日本の何をどのように変えたのだろうか。

 

堺屋太一は文庫版の前書きで「戦後生まれの人口が多いことは知っていたが、経済動向や社会構造に重大な影響を与えるとは思っていなかった」と正直に述べている。この世代について注目するようになったきっかけは、1960年代後半に厚生省の役人から「やがてこの世代が加年化すれば医療費や年金負担が大変になる」と聞いたことだったという。 

 

1960年代後半というのは、団塊の世代が高校を卒業した時期から大学を卒業した時期である。既にこの時までに団塊の世代が社会に何らかの変化をもたらしていたとしてもおかしくない。しかし、堺屋太一自身もこの世代の社会的意味について特段の認識を持っていなかったことからすると、当時一般の認識としても特別注目されていた世代というわけではなかったのであろう。この小説が世に出るまでは。

 

1960年代後半の出来事としてまず思い浮かぶのは学生運動の高まりだ。1968年から1969年の東大紛争や日大紛争に端を発し、全国の大学や高校に学生運動が波及した。

東大や日大の紛争はそれぞれ固有の問題から始まったものだ。東大の場合は、医学部において研修医の待遇改善を求める運動として始まったが、大学当局が警視庁機動隊を学内に入れたことから大学の自治を巡る問題に発展し、大学全体を巻き込んだ紛争となった。日大では大学の巨額の使途不明金が報じられたことをきっかけに、学生数や学費に見合った教育体制が整っていないことに不満を募らせていた学生たちが、経営体制の抜本的改革を求めて立ち上がった。

それが他の大学や高校に波及した背景には、米国やフランスなど海外におけるベビーブーマー世代による体制への抗議行動の高まりが影響した面もあったと思われる。

学生運動団塊の世代に特有のものではなく、最も政治的に先鋭化した学生運動としては、もっと前の世代による1960年の安保闘争があげられるだろう。しかし、体制に問題があれば目先の安定をなげうってでも抗議するという姿勢を大規模に体現し、後の世代の記憶に引き継いだことはまぎれもなく団塊の世代の功績だ。西側社会に共通して見られたこのような抗議の姿勢こそ民主主義を支える精神だと思う。

 

もちろん団塊の世代は男性だけではない。団塊の世代の女性たちの動向として注目されるのはウーマンリブである。1960年代後半の学生運動の高まりと同調するようにして現れたウーマンリブは、田中美津や榎美沙子といった象徴的な存在を得て社会運動として確固たる流れとなった。

田中美津の「便所からの解放」と題した文章は、ウーマンリブの勢いを先導するものとなった。田中自身、後に、その文章を載せたビラを求めて殺到する女性たちを見て「時代を掴んだと思った」と語っている。

榎美沙子は中ピ連代表として学生運動のスタイルを真似たピンクのヘルメットをかぶってテレビ番組などで奇矯な活動を繰り広げた。敢えてテレビ側の思惑に乗った面もあったであろう。その活動については否定的な見方が多いが、問題を問題として世の中に広く知らしめたことは間違いない。

先頭に立った二人は団塊より少し前の世代だが、社会の根底にあった強固な認識を次第に変化させてきたのは、巨大な人口を有する団塊の世代の女性たち自身における意識の変化だったのではないだろうか。

 

その後団塊の世代は、他の世代共々、日本の経済・産業の発展を担い、新しい文化を育んできた。「団塊の世代が戦後の日本を形作ってきた」という言い方があるが、これは小説「団塊の世代」のタイトルがもつインパクトに影響されたきらいがある。戦後の発展を担ったことは間違いないが、それは前後の世代も同様だろう。

 

思えば団塊の世代は、まことに幸せな世代である。戦後の平和と経済成長の果実を享受し、日本の絶頂期であったバブル経済の繁栄を人生の最盛期に味わい尽くした。しかも今は、年金や医療が崩壊する前にしっかりとその恩恵を受けている。戦争に押しつぶされた前の世代や、バブル崩壊後の停滞の中でもがいている後の世代から、やっかみの声が上がるのも無理からぬところだ。

 

堺屋太一の小説の前書きに記されている厚生省の役人の懸念は今や現実のものとなった。団塊の世代が日本社会のあり方を大きく変えるのはまさにこれからだろう。

 

 それにしても「団塊の世代」とは絶妙なネーミングだった。むしろ絶妙すぎてイメージが独り歩きしてしまった感すらある。