多摩川通信

昭和・平成の思い出など

金魚の思い


金魚に感情はあるか?

そう問われれば、私は確信を持って「ある」と答える。
金魚の感情が如実に現れた場面を目撃して胸を突かれたことがあるからだ。


まだ幼かった子供達が近所の祭りの夜店で金魚すくいをしたとき、店のおやじさんが、もう仕舞いだから全部持っていきなと、金魚の稚魚を十数匹持たせてくれた。
小さな水槽を買って放したが、数日の内にバタバタと死んでいった。それでも数匹がひと月ほど生きて、最後に2匹が残った。この2匹が長生きした。
特段のこともせず、水が汚れても頻繁に取り替えるでもなく、普通の餌を与えただけだったのだが、結構大きくなり大小のつがいのように見えた。


数年して小さい方が先に死んだ。腹を向けて浮かぶようになり、やがて沈んだまま動かなくなった。腐臭がしないうちに掬い取ろうと網を入れた時だった。
残った大きい方の金魚が死んだ金魚の上に覆い被さり、網を近づけさせないように身をくねらせた。

それは明らかに意志のある行為だった。長いあいだ連れ添った相手を失うことに抗う哀惜に満ちた光景だった。
このとき、金魚は相応の知能と感情を有していることを確信した。


残った金魚はその後も1年以上生きたが、その孤独を思わざるを得なかった。
やがて、その金魚も腹を上にして浮くようになり、最後に与えた餌を口にした途端に死んだ。


金魚に感情があるのなら、狭い水槽の中だけで生きた長い日々はどのようなものだったのだろうか。


ネットを見ると、魚においても人と同じような感情の発露が観察された例がいくつか上げられている。近年、魚類にも感情があることを証明した海外の研究結果も報告されているという。


生き物の崇高さを思うとともに、水槽の中から興味深く観察されているかもしれないと思うと、落ち着かない気持ちにもなる。