多摩川通信

昭和・平成の思い出など

ナチス・ドイツの教訓

 

ナチス・ドイツによるホロコーストの犠牲者数は、ニュルンベルク裁判時に「600万人」と推定されたが、その後の調査・研究により大きく見直されてきている。

アウシュビッツ強制収容所跡の碑文には、同収容所の犠牲者数は「400万人」と記されていたが、1995年に「150万人」に変更された。

 

1945年6月のベルリン宣言によるドイツの無条件降伏から75年を経過し、客観的な史実の究明が進んでいることは、歴史を教訓とするために重要だ。

同様に、ホロコーストのような人類史に残る犯罪が、国家の行為として行われたことについて、その実相と原因の解明を究めることは、再び同じ過ちを犯さないために避けて通れないことだ。

 

日本は幕末以来、ドイツから医学、法制、軍事、芸術など多くを学んで近代国家としての骨格を整えた。その先進国がホロコーストのような事態を引き起こした原因はどこまで解明されたのだろうか?

 

戦後、ナチス・ドイツにおける戦争犯罪の責任はヒトラーとナチ党幹部に背負わされたが、ナチスが台頭し政権を掌握するに至った背景にはドイツ国民の支持があった。

第一次大戦の敗戦によって窮乏した国民生活を大胆に改善し、果敢な外交・軍事政策によって国の誇りを回復したヒトラードイツ国民は熱狂的に支持したのだ。

第二次大戦の敗戦後ですらナチスを支持する国民が少なくなかった。

その支持層は、ナチ党の正式名称「国家社会主義ドイツ労働者党」に掲げられた労働者階級にとどまらず、知識階級の支持も高かった。

 

哲学者のマルティン・ハイデッガーはナチ党員だった。

その著書「存在と時間」は偉大な業績とされている。学生時代に読んでみたことがあるが、一行も理解できなかった。

ハイデッガーフライブルク大学総長だったとき、講義の始めと終わりに学生にハイル・ヒトラーの敬礼をさせたというエピソードは、現代の感覚では理解するのが難しい。

 

ヒトラーに抵抗した人々」(中公新書)は、軍人、学者、市民、学生といった様々な人々が、ナチスの非人道的行為や法の逸脱に対する深刻な危機感から行動に出たことを紹介している。

その命を懸けた行為の崇高さに胸を打たれるが、いずれの抵抗も体制の転覆につながるような力強さと広がりを欠いた。

最大の抵抗勢力であり得たはずの国防軍は、クーデターの実行を計画したものの時機を逸して不発に終わり、以後、なし崩しに抵抗の姿勢を失ってしまった。

 

もはや事態の改善には敗戦を待つしかなかった。

そして、ナチス時代の政府高官の多くは戦後もその地位を保った。

 

当時のドイツの知識人やエリート層は、政府の非道や不法を目にしながら、なぜ自らドイツの運命を変えることができなかったのだろうか。

その問の構図は、現代のどこの国、どの組織においても成立する。