多摩川通信

昭和・平成の思い出など

木のパン

 少年期に読んで、その後長く心に残っていた物語があった。

かなり昔に一度読んだきりなので記憶が曖昧なのだが、欧州のどこかの国の話で、年少の少年が迫り来る迫害を逃れて一人で列車の旅をするという内容だった。

家を出るとき少年の祖父が、空腹にどうしても耐えられなくなったときまで絶対に開けてはいけないと言って小さな包みを手渡す。

少年はそれを固くなったパンだと思ったが、空腹に苛まれながらも必死に祖父の言葉を守って旅を続け、ついに目的地に着いて包みを開けてみると、一塊の木片であったという物語である。

 

少年漫画誌の中の読み物で読んだように記憶しているのだが、何という漫画誌だったかも、いつのことだったのかもはつきりしない。

だが、この短い物語の印象は強く、いつか探し出してもう一度読んでみたいと思っていたのだが、数十年も前の漫画雑誌の中の読み物のことなど簡単には分からないだろうと思っていた。

 

ところが、最近、試しにGoogleで検索してみたら、呆気なく原作らしきものが現れた。

光村図書の中学2年国語教科書(昭和50年)に掲載されたという「一切れのパン」という作品である。著者はフランチスク・ ムンティアヌとある。

私の中学校はこの教科書ではなかったようで、国語教科書でこの作品を読んだという記憶はない。

 

ムンティアヌについて検索すると、ルーマニアの映画監督・脚本家だったらしい(Francisc Munteanu/1924-1993)。

Munteanu, Francisc

Francisc Munteanu

 

1966年にオーストラリアの文芸誌に掲載された痕跡があり、1984年にはルーマニアで映画化されたようだ。(内容は確認していないが著者名と作品名から「一切れのパン」と推測)

Meanjin Quarterly - A Slice of Bread (Literature & Culture Collection)

A Slice of Bread (1984)

 

この作品に感銘を受けた人は多かったらしく、長い年月を経てなお、懐かしむ声がいくつもネットに上っていたのには驚いた。

物語の全文を読むこともできた(残念ながらそのURLは今は削除されているが、「一切れのパン」で検索できるブログのいくつかに概要が掲げられている)。

 

しかし、それは、私の記憶にある物語とは違った。

「一切れのパン」は、1944年8月、ルーマニアがクーデターで突如、枢軸国から離脱してドイツに宣戦布告した事件を舞台として、ルーマニア人の水夫がユダヤ人のラビからもらった”パン”の包みを頼りに、空腹に苦しみながらドイツ官憲から命からがら逃れて妻の待つ家に帰り着くという話だった。

 

一読して、こんな話ではなかったと思った。

主人公は耐え難い空腹にあったはずなのに、包みの中身が木切れであったと知るまでの結末が間延びしていてリアリティがなかった。

 

私が昔読んだ物語は「一切れのパン」をアレンジしたものだったのかもしれないが、主人公が少年であればこそのリアリティが「希望」が与える力の大きさを鮮やかに伝えていた。

与える物もない中で、孫に「希望」を手渡した老人の痛切な心情も想像することができた。

 

ふと、ムンティアヌのこの作品の背景には、欧州の人々の間に伝わった鮮烈な記憶があったのではないだろうかと思った。

ナチス圧政下のユダヤ人迫害や、遡ればロシア革命後のシベリアにおけるポーランド人の惨禍などを生き延びた人々の極限の体験の中に、類似のできごとが多々あったのではなかろうか。

 

この物語が忘れがたかったのは、折に触れて自分の心の中の「木のパン」を思うことがあったからだと思う。